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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

要は見方次第であり、捉え方次第で意識の持ち方も変わります

2016年3月4日

テーマ:思考方法

コラムカテゴリ:出産・子育て・教育

漠然とした表題です。先日、仏教の授業を受けることを希望する方が当塾まで来られ、仏教関連の学部を目指すために入会されました。仏教の良い点はあげればキリがないくらいにたくさんあります。2500年の歴史の中で、変容に変容を重ね、この国で、ある種特殊な発展を遂げて今に至ります。進化したのは、インド伝来になるコアの部分でもあり、そして、各地域で新たに生み出された部分でもあり、もはや一言で仏教を言い表す術を持つ人はいないのではないかと思います。逆の言い方をすれば、「全部仏教」です。私が仏教の中で最も「すごい」と思うのは、世界中に仏教があり、読む経典も違えば、言葉も違う、民族も違う、消え去った歴史もある、国に取り込まれたものもある・・要するに多様なのですが、ほとんどの人が「自分の国のものが仏教で、よその国のものは仏教ではない」とは考えません。また、例えば禅宗が浄土真宗をつかまえて、「あなたは仏教ではない」とも言いません。それはどの宗派でも同じです。かつて(と言っても平安時代)、この国でも大乗か小乗かといった議論はありました。また、親鸞は教義を外れた息子を義絶しましたが、これも宗派的異端となったことに対する義絶であって、仏教ではないと主張したわけではありません。しかし、その論争は、ある意味お互いが仏教であることを認めているという意味でもあります。また、親鸞は教義を外れた息子を義絶しましたが、これも宗派的異端となったことに対する義絶であって、仏教ではないと主張したわけではありません。様々な形態の違いはあれども全部仏教という認識が常にあるのです。私はパーリ語の合宿勉強会で長く講師を務めましたが、そこにはミャンマーから長老が来ていました。禅宗の寺で勉強会がありましたが、そこにミャンマーの長老がパーリ語で朝のお勤めをするのです。「ナモータッサバガバトーアラハト-・・」と知らない人が聞いたら呪文に聞こえるかもしれません。でも、多分、多くの人は、仏教にそんな呪文があるのだろうという予測のもとにそれを聴くのではないかと思うのです。そこに排除の論理も精神もありません。場合によっては「ありがたい」とさえ感じる人もいるのです。これはまさに生きる智慧です。私はこの「全部仏教」というところに感動して仏教を続けています。
とある昔の仏教学者によれば、仏教とは「要は見方、捉え方次第」と言ったそうです。仏教に限っていないことかもしれませんが、アルバート・エリスがいつも引用するエピクテートスの言葉である「人は起きたことによって動揺するのではない。それをどのようにとらえたかによって動揺する」これも、私たちにとっても重要な言葉です。言われてみればそうだけれど、自分の言葉で言えるかと言われると、はなはだ自信がありません。エリスやベックによれば、感情は認知から生まれるというわけですから捉え方を変えるのは、漠然とした精神論ではなく、メンタルヘルスのためにも大いに効果的です。できるならば、常に多様な見方を持っておくことが望ましいということです。
こういった見方に関して、古くから格言的に言われるということは、我々にとって常に課題であるということです。こういった視点をたくさん持つことは個人であっても公であっても共通して必要なことです。
経済、株が、円が上がった、下がったと毎日のようにいろいろな人が言いますが、勝ち組がいるということは、必ず負け組がいます。ナントカミクスで、円安が素晴らしいと少し前までは言っていましたが、今となっては、円安倒産の特集が組まれています。またこのぐろーばるの時代、一国だけで円安が続けられるわけではなく、多くの国が通貨安を狙った政策を打ってくるわけです。諸行無常の瞬間の上下動に右往左往して、瞬間的(主観的)敗者に眼差しを向けられないようになり、そしてそのうち気づけば自分が敗者になる・・これを素晴らしいことだと説く為政者は、負け組になるための政策をわざわざ打っていることに気づいているのか、いないのか・・・どちらにしても呆れます。失敗した見方をすると、結局どちらを向いても、間違いしか見えなくなります。また視野もせまくなります。政治家や役人は自分がそうなっていることに気づきませんし、自分に都合の悪い言論を消そうとします。今のこの国もその道を歩み始めています。

多様な視点を持つにはどうすればよいのか?という問いかけは、永遠の問いです。誰か売り出さないかなとも思うのですが、そう簡単にはできないのではないかと思います。つまり、鍛えていくしかないものだと考えられます。どこを鍛えるかと言えば(個人的見解として)、連鎖が見えるようになるまで、意識することだと考えています。私は常に必修の授業で、この授業がなぜあるかということを伝えているのですが、もっとも重視していることは負の連鎖から出ること、次に負の連鎖にならないようにすること、次に良い連鎖をイメージすること、最後に良い連鎖を作ること。最初から良い連鎖が作れるならば、誰も苦労しませんが、負の連鎖だけは害しかありません。何とか脱出したいところです。こういった負の連鎖からの脱出に、視点の切り替えは大きな役割を果たします。例えば、試験で言えば、試験会場で、問題を見たときに多くの人が感じることがあります。それは「傾向が変わった」です。もちろん、事実ではないのです。最初から傾向などないことの方が多いからです。傾向が変わったと、頭が呟いたあとが大切なのです。「最悪!もうダメだ」という人もいれば、「まぁ自分だけじゃないし、条件はみんな同じか」と相対化できる人もいます。あるいは「この状況はむしろ自分に有利ではないのか」とよりポジティブにとらえる人もいます。
次の行動はこの頭の呟きと、その処理によって決まってきます。だからこの瞬間が大事なのです。この時に「最悪!」と考えた人は「どうしよう!」となってしまい、思考停止すると、「悪循環への入り口にようこそ!」となってしまいます。「どうしよう!」のあとに「どうする?」「じゃあ作戦変更」or「まずは問題分析」or「似たような問題の学校あったかな」or「この問題、あの辞書ならなんて書いてるかな」いくらでもありますが、こういった言葉を頭に流してあげることで、状況自体が変わります。ピンチだと思っていたら、実はチャンスだったなんてことはいくらでもあります。視点の切り替えは、良い連鎖への入り口と言えるのです。



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