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あなたはそれでも神を信じるか? ~宗教でも哲学でもなく、私が心理学を信仰する理由~

この世でいかなる優れた教義や科学的根拠、そして事実や真実があったとしても
それを正しいかどうか信じるか信じないか、どう受け止めるかはあくまで個人が主体なのであって
そこに(己が感じたまま受け取ったまま)こそ答え(あるいは問い)の正解があるのではないでしょうか?

実際神や仏という存在があろうとなかろうと
その真実が全てなのではなく、個人が受け止めたものこそが真実であり
だからこそ神は存在するのか?といった個によって違う見解の議論(疑問)が生じるのだから
全ての正解は自分の中にこそその答えがあると思うんですね。

つまり私は神を信じるも信じないもまずそんなことより
そんな人間自身(個々人)の中にある正解の答えこそが重要だと考え
その内面を追究していく心理学にこそ大きな関心があるわけです。
(全ての正解や事実は自分自身の中にある)

だから神の存在を疑いもしませんし信じもしませんし
ただ個々の答えや信じるものを事実(真実)として受け止めるだけであって
それぞれ人の考えや答えを私は一切否定しません。

否定したところである人がそうだと言えば(例えば神は存在すると言えば)そうなんでしょうし
違うと言えば違うわけです。
そこにどうして他人の私が否定する余地があるのでしょうか?

だからこそ私は心理学を研究(人の心理を追究)するわけです。

ある教義がいかに優れていようと、揺るぎない科学的根拠があってそれが真実であろうと
人の心理にこそその真理があるのであって
必ずしもその教えや真実(事実そのもの)が正しいのではないということ。

それでもあなたは神を信じるのですか?
(いくら自分の中では存在していても、他人の中にまで存在しているかどうかわからない存在を)

私が信じるのは個人の心理であって、私やあなたが信じるものではありません。

だから私にとっては神はいるかいないかなんて議論自体が不毛でしかなく
人によって(信じることによって)存在もするし存在もしない。
ただそれだけのことなんですね。

事実、ある人を信じたのに裏切られたということも
元は信じてたことがあるキッカケや出来事によって覆ったということですよね?

つまり自分が今信じているものなんて全ては幻想に過ぎないということが言えるのかもしれません。
(いくら強固に信じていたとしてもそれは変わらない事実)

ですから私やあなたが信じるものこそ事実であって
いくら科学的に証明(解明)されたり何かの真相が明らかになったとしても
私にとってはそれそのものが(既成事実が)信じる対象とはなりませんし
そこに何らかの議論や抗争が生じるのは、ただ自分の信念(考え)を押し付けてるだけではないでしょうか?

だって自分が今信じてることなんて何らかの影響を受けて
その時その状況によってあっけなく変わってしまうんですから。

ですから神の存在(その議論)というのも、単なる神の押し付け合いなのかもしれませんね。
(神様にとってはいい迷惑で、いるもいないも自分が相手にそう押し付けたいだけ。なすり付け)

正解や答えを神や教義、そして他人の中に求めないことで
もしかすると揺るぎない信念(心の強さ)が生まれるのかもしれませんよ。

「他人が信じることを否定することは、自分が信じるものもまた否定するということ」
(他人がそうだと信じていることの否定=事実・心理の否定=他人からの否定も受け入れる、認めるということ)

この記事を書いたプロ

宮本章太郎

心理カウンセリングのプロ

宮本章太郎(京都カウンセリングラウンジ)

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