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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

「やればできる」とは限りません

2022年10月26日

テーマ:勉強方法

コラムカテゴリ:スクール・習い事

よく「やればできる!」という言葉を聞きます。予備校のキャッチフレーズにもありますが、他にも「うちの子はやればできる子なんです!」なんてのもよく聞いてきました。しかし、現実として、このフレーズは正確には「やらねばできない」です。言い方を変えれば「やってもできないこともある」というのが事実なのです。まず一番大切なことは「やり方」だと考えています。そもそも方法を間違うと、たいていのことは失敗します。しかし、失敗したからといって、すべての方法が間違っていたとは言い切れないのも事実です。結果だけではわかりませんが、結果からさかのぼることも重要な側面をもちます。そのくらい複雑ですので、「やればできる」はあまりにも単純化しすぎていると思われます。
これは資質とか、才能といったこととは別次元の話です。能力が同じだとしても起こりうることです。資質、才能というのもあくまで結果論にすぎません。何かしらの数字が高いからといっても、参考資料程度です。我々が勉強をはじめとして、まず事実として、受け止めておかねばならないことは、この「やってもできないことがある」ということです。意外にこの点は置き去りにされている傾向が強いと言えます。大学受験までは、「テストの点数」「偏差値」というわかりやすい尺度があります。これはどちらかというと「やれば伸びる」類のもので、ゲームに近いものです。
(そうは言ってもゲームスコアの伸びと学校の成績の伸びは因果関係はないそうです)
ゲームはパターン数を意図的に少なくしますので、スコアが伸びるパターンを人間は無意識的に学習しますので徐々に「高いスコア」をとってやろうという意識が働きます。
高いスコアを取ることに意味がないとは言いませんが、大学に入った瞬間から、これは意味をなさなくなります。大学の先生に「私は偏差値70でした」と言っても、何も意味をなさないことは容易に想像がつくと思います。逆に「偏差値40でした」と言っても「だからどうした」の話にしかなりません。大学以降は「今、ここ」が大事なのであって、一つの尺度に頼った自己分析はさほど重要ではないのです。

話題を戻すと、例えば、大学院入試で願書一つ書くのも、「やればできる」というスローガンを掲げても書けません。そういう問題ではないということがわかると思います。
実は、願書書類を書くという行為自体が初めてという人は案外たくさんいます。そういった人は「やれどもやれどもできない」「やればやるほど混乱する」という現象を必ず経験します。これは確かに存在する現象です。これを「つまり勉強していない、努力していない」と解釈すると、余計に歪んできます。その人は「どうすればできるようになるか」を考えると、多少改善されます。しかし、この場合、「やり方がわからない」となってしまい、あきらめてしまうことが多いと思いますので、ここが境界と見定めて、あきらめずにその方法を獲得しようという意識を持つことが重要です。
勉強に限らないと思いますが、「どういう努力をどういう方法でどのくらいこなし、それをどのくらい継続するか」簡単ではありませんが、これが勉強のスタートラインにおいて基本となるところです。


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