弁護士と格言 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
家康は、多くの言葉を残しています。その言葉は、自らの反省の言であったり、子や重臣を教える言葉であったりしますが、それらが語られてから四百年以上経った現在でも、輝きのある“教えられる言葉”になっています。
読む者や聴く者の胸中深く届く“言葉”は、語る人の叡智の光ともいうべきものですが、イギリスの名宰相といわれる、ウインストン・チャーチルは、「すべての叡智は新しいものではない。先人から学んだものだ。」と語っていますので、徳川家康の叡智の言葉も、先人から学んだものといってよいでしょう。
ただ、この場合の“先人から学んだ”というのは、言葉として学んだものではありません。
武田信玄からは、三方ヶ原の戦いで完膚なきまでに負かされることで、戦いとは何かを学び、長男信康からは、危険地帯に身を置く子にそのことを自覚させなかった結果、最愛の我が子を切腹させるはめになったことで、子への教育の重要性を学び、織田信長からは、家臣の扱い方によって本能寺の変が起こりうることを学び、豊臣秀吉からは、戦国を統一した後の経綸の無さが無謀な外征(朝鮮への出兵)を引き起こし国力を落とすだけ結果になることなどを学んだだろうと思われます。
家康の残した言葉は、一般には、処世訓といわれますが、これらの言葉は、家康の経験に、家康が学んだものが加わり、自然に、生まれ出たものと思われます。別の言葉でいえば、家康の処世訓は、家康の哲学といってもよいと思われます。
すなわち、アレキサンドル・デュマは、“哲学とは,あらゆる学問とあらゆる経験の双和なのだ。”と語っているからです。
続けて、デュマは、“哲学とは,輝きわたる雲だ。人智の中に隠れている不思議な鉱脈から掘り出されるものだ。しかし、哲学は人から学べるものでも、人に教えられるものでもない。人智の中にある鉱脈から哲学を掘り出すには、苦しみや不幸というものが必要なのだ。”と語っていますので、徳川家康の残した言葉、家康の哲学も、家康の苦しみ、悩みという経験があったればこそ、生まれたものでしょうし、現在まで輝き続けているものと思われます。
ですから、“苦しみよ!悲しみよ!お前は決して悪いものではない!”
これも、アレキサンドル・デュマの言葉です。