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菊池捷男

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菊池捷男(きくちとしお)

弁護士法人菊池綜合法律事務所

菊池捷男プロのコラム一覧:歴史と偉人と言葉に学ぶ

(2)篤実に生きることが、織田信長との同盟を支えることを知ったこと 家康は、信長との同盟時代、信長の信頼を疑わせるようなことは、何一つしていません。それどころか、本能寺の変の直前、信長は、家康を堺見物に招き、最大の接待をしているくらいの、篤い信頼を寄せているのです。 信長...

3 家康が信長との同盟時代に学んだこと(1)強くなければ、信長に滅ぼされることを知ったこと 強大を誇った今川家、不敗を誇った武田家は、氏真や勝頼の時代になると、あっという間に、七花八裂に粉砕されます。弱いということは、国を失い、一族を滅亡させるというのが、戦国時代の真...

2 この期間での特筆すべきこと(1)弱国は生き残れないことア 今川家の滅亡 今川義元が桶狭間の戦いで敗れたときの兵力は3万人でした。その版図は、駿河国、遠江国、それに三河国に及ぶ強大なものでしたが、それも十年経ずして、消滅します。義元の後を継いだ氏真が、弱将だった...

二 織田信長との同盟時代1 二十年の歩みの概略(1)織田信長と同盟を結ぶ(1562年) 家康は、今川義元が桶狭間の戦いで首を打たれた後、義元の後嗣氏真の元へは戻らず、1562年に、織田信長と同盟を結びます。それを知った今川氏真は、家康の裏切りだと言って憤り、家康側から取ってい...

2 学んだこと 家康は、ある日、乞食の親子かと思った親子に道を尋ねられます。母親は、松平家の家老の娘にして、高天神城の戦いで広忠(家康の亡父)の身代わりになって死んだ先代本多忠勝の妻。子は後の徳川四天王の一人本多忠勝です。二人は、家康(当時は松平元康)の元服用の衣服をも...

一 出生から桶狭間の戦いまで1 概略 1542年、徳川家康は、三河の岡崎城で生まれました。父は広忠、母は於大。家康、六歳(以下年齢は数え)の折り、父・広忠が、織田家に奪われていた高天神城を攻めるため、今川義元に援軍を頼んだとき、交換条件として、人質になって駿府に行くことにな...

第一 徳川家康の一生を四区分 徳川家康の一生を、大きく区分すれば、①人質時代 (出生から桶狭間の戦いまでの十八年間)、②織田信長との同盟時代 (本能寺の変で信長が横死するまでの二十年間)、③豊臣秀吉への臣従時代 (関ヶ原の戦いまでの十八年間)、それに、④天下の主時代 ...

なお、司馬遷のいう「素封家」の意味について、一言しておきます。「素」は無色の意味、「封」は封土の意味から、「素封家」とは、封土を持たないが封土を持った王侯貴族に比肩しうるほどの財貨を築いた者という意味に、使われています。現代人の感覚でいえば、大富豪とか財閥になるのでしょ...

イ 材にあらざる者に、大事を託すなかれ 司馬遷の「史記」の「貨殖列伝」が伝える一挿話ですが、中国の春秋時代,臥薪嘗胆で有名な勾践に仕えた范蠡は、陶の国で朱公と名乗って,貨殖の道を歩き,司馬遷のいう素封家になりますが,あるとき,次男が,楚の国で殺人の罪に問われ死罪になること...

5 組織のトップの心得 組織のトップは、組織を、大廈の材の淵藪にすべし。 いな、組織が大廈の材の淵藪になるような者になるべし。ア 大廈の材を、どこで見るか? 陳平は、前述のように、漢帝国が成立した後、丞相にまでなり、劉邦の皇后・呂后の一族である呂(りょ)雉(ち)が、...

漢の軍は、人材の淵藪であった。 淵藪とは、「淵」が魚の寄り集まる場所、「藪」が鳥獣の寄り集まる場所をいうところから転じて、人材が集まる場所をいいますが、漢の軍はまさに、人材の淵藪であったといえるでしょう。 その結果として、楚漢の戦いでは、大廈の材の淵藪になった漢が勝ち...

大廈の材は一丘の木にあらず これは「孫子」の言葉ではありません。 意味は、大きい建物の材木は、そのあたりの山から採れる木ではないというものですが、ここから転じて、大きな事業を行う者は、広い世界から有能な人材を集めなければならないという意味になります。 楚漢の戦いの中...

4 勝因と敗因 楚漢の戦いの勝因、敗因は何であったのか? 「将の能にして、君の御せざる者は勝つ」とは、孫武(紀元前六世紀の人)の著書「孫子」の教えの一つです。 その意味は、戦争における将には、有能な者を使い、君主は、将のすることを制約しなければ勝つ、ということです。...

3 垓下の戦い やがて、舞台は、項羽と劉邦の最後の戦いになった、垓下の戦いに移ります。 項羽が率いる楚軍は、劉邦が率いる漢軍を、鎧袖一触で破り、激しく追撃します。漢の軍勢は逃げに逃げていきます。 やがて、四分五裂になったまま、垓下にまで落ちていくのです。 項羽...

 次に韓信がいます。 彼は軍事の天才です。故事成語にまでなった背水の陣を敷くなど、それまでの常識を覆すような戦術も編み出します。韓信は、元は項羽軍にいた人物で、項羽が亜父と敬称する范増から、その才能を認められるのですが、范増が項羽に韓信を重用するか、重用しないのなら殺...

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