2021/02/12 現代版「綸言汗の如し」
2020/12/22 リーダーシップ⑩ 兼聴すれば明るく、偏信すれば暗し
この言葉は、当時の諺だったと思われる。
この言葉には、強い効果があった。
それは、劉備玄徳が反省し、馬良の提言を受け入れたからである。
すなわち、中国の三国志の時代、蜀漢の皇帝となった劉備玄徳は、諸葛亮孔明の反対を押し切って70万人からの軍勢をもって呉へ攻め入った。
当初は連戦連勝したが、やがて呉の大都督陸遜が立てた作戦に完膚なきまでに破れ、白帝城に逃げるのが精一杯という有様になった。
これが歴史に有名な夷陵の戦い(いりょうのたたかい)である。
この戦いの直前における蜀と呉双方の軍勢の配置状況を、蜀の参謀である馬良が、地図にしてこれを蜀の首都・成都にいる諸葛亮孔明に送って意見を聴いてはどうかと、皇帝である劉備に問うと、劉備は、不快げに、その必要はないと言う。
このとき、馬良が劉備に言った言葉が、「“兼聴すれば明るく、偏信すれば暗し”という言葉があります。英明な陛下(劉備のこと)ならお分かりいただけると思いますが。」であった。
この言葉の意味は、「人の意見に耳を傾ければ、道理がよくわかるが、何かを偏執的に信じると、了見が狭くなり間違いを犯す」というものであった。
この馬良の言葉を聞いて、さすが名君といわれた劉備は、馬良から諸葛亮孔明まで、軍勢配置図を送ることを承知した。
その結果、諸葛亮孔明は、夷陵の戦いで蜀軍が大敗することを予見でき(劉備軍は炎暑を避けるため緑陰に砦を築くなどして、秋来るを待つ態勢をとっていたが、この態勢では火をもって攻められれば敗北必至であった。)、趙雲を劉備救出に行かせることができた。
おかげで蜀軍は大敗するも劉備の命はかろうじて救いえたのである。
ここからも、明らかに言えることは、世にリーダーたらんと欲する者は、“兼聴すれば明るく、偏信すれば暗し”の教えを守ることと、それ以上に大切なことは、このような諺の大切さを知ることであろう。