坐骨を中心に寄せる感覚シミュレーション
「意識する」ことの違和感
昨日、男性のパーソナルレッスンをさせて頂いた時に
非常に楽そうに見えるが
「とても楽だけれど、したことのないことをしている違和感がありますね」
と言われた。
なるほど~。
家に帰って、ほぼ同じ年代の家人に同じことをしてみた。
背格好も似ている。
先の男性のために参考になりそうだし
こちらの方はせっかくしても3日坊主なので、あまりやらないのだが
個人的興味で。
自然に背骨が伸びる感覚に驚き
固い足首が伸びているのに納得していたが
やはり
「これが自然な姿勢なんだな~、気持ちいいなと思うけれど
今まで使ったことのないところを伸ばしてる、馴染のないことをやってるぞ
という感じ」
と言った。
先の男性も家人も、運動の経験値が高く、感覚がよい。
イメージをつかむのが上手だが、「意識する」ということを殆どしたことがない。
「何となく」使っているのを「意識して使う」ことは
確かに「違和感」だと感じるだろう。
初めての感覚は誰にとっても「違和感」がある。
腰が痛かろうが、肩がきつかろうが
体に染みついている感覚には「慣れ親しんだ気安さ」がある。
洗濯し続けて、クタクタになっている肌着は型崩れしていても着やすいものだ。
履きなれて、底が減り、自分の足の形通りになっている靴も、ボロボロでも捨てにくい。
「それ穴空いてるし、みっともない」
「捨てて新しいものにしなくっちゃ」
と自分でもわかっていても、捨てにくい感覚は、誰にもあるし
新しいものは気持ちがいいが、着慣れない、履きなれない「違和感」は間違いなくある。
「違和感」
「馴染のない感覚」の表現が面白いなと思った。
着慣れ、履きなれるのに時間が必要なように
「意識する」感覚や実際に感じる体のイメージに慣れるには
やはり時間が必要なのである。
最初は過剰な力もあるし、デッサンするのにいくつもの線を書いては
本当に必要な線を残していくように
自分の中で探していく作業も必要なのだ。
意識の線を書いては消し、新たに書いては消しを繰り返すうちに
「違和感」「馴染がない」感覚は徐々に変化していき
当たり前の感覚になってくる。
「ずっと、そのままをキープ!でなくて、気づいた時に意識して」
と言ったら
「なるほど!
姿勢が悪くなってる、と気付いた時に直せばいいんだ」
自らレッスンを受けに来て下さった方と違って
三日坊主の家人にさせるのは面倒だが、いい機会なので
ちょっと奮起してもらおう。