弁護士の心得 「できません」は禁句。「こうすればできます」で答えるべし。
Kites rise highest against the wind, not with it という言葉は、時期はいつかは知りませんが、ウインストン・チャーチルの口からでた言葉です。凧(たこ)は、イギリス国民の独立不羈の精神、風はヨーロッパ中にとどろくナチスドイツの軍鼓の嵐です。
1 演説
チャーチルは、まだ首相になっていない時期、時のチェンバレン内閣が、ナチスが支配するドイツに対し融和策をとり、ヒトラーと一定の合意(ナチスドイツがするヨーロッパの小国の支配を認めるという合意)を取り付けたことで、国民とイギリス皇室の安堵と喝采を受けている中、独り、それを批判し、ナチスドイツとはいかなる妥協もすべきでない、ナチスドイツとは戦うべきだと、国民に訴えました(国会・下院での演説。国民はラジオで耳を傾けている)。
チャーチルがこの演説をした時期は、イギリスがナチスと融和を図らない場合、フランスのダンケルクに派兵した三十万人のイギリス将兵が全滅する危険が極めて大きいという時期でした。また、やがてドイツがドーバー海峡を越えて、イギリス本土を攻撃すること必至という時期でした。
その時期、今そこにある危機を回避し、ナチスドイツに譲歩すると、ナチスドイツの暴戻(ぼうれい)なる小国支配と特定の民族の絶滅(ドイツのホロコーストでは、730万人のユダヤ人のうち570万人が犠牲になっています)を黙認することになりますが、それだけでなく、やがてイギリスそのものがナチスドイツに攻め込まれるということが予見できる状況下にありました。このチャーチルの演説を聞いたイギリス国民は、奴隷になるより死を選ぶとの固い決意の下、ウインストン・チャーチルを全面的に支持し、首相に選びます。
かくて、イギリスは、たいへんな苦難の中、多くの犠牲(45万人の人的被害と潜水艦や空爆などによる物的被害)を出しましたが、勝利していきます。
2 ダンケルク
なお、歴史上、ダンケルクはあまりに有名です。ダンケルクに追い詰められたイギリスの将兵30万人は、救済の手段がない中(イギリスの軍艦はドイツの潜水艦Uボートによって沈没させられ、軍としてダンケルクから兵を撤退させる手段はなくなっていた。)、イギリス国民が自ら志願して、漁船やヨットまで出して、これらの将兵を救出するのですが、その過程で多くの民間人や軍人が犠牲になっています。
3 刑事ホイルより
NHKBSテレビで放映された「刑事ホイル」は、この時代を背景にしたドラマですが、あるとき、刑事ホイルが未成年者を窃盗の嫌疑で逮捕したところ、その未成年者もその父親も、その未成年者は漁船を出してダンケルクに行きたい、行かせたい。未成年者は必ず帰ってき、必ず出頭するので逮捕を待ってくれと懇願しました。そこで、刑事ホイルは未成年者の逮捕を見送り、彼をダンケルクに行かせるのです。そして、ある日、その未成年者の父親が、刑事ホイルを訪ね、息子がダンケルクへ行き、兵士を助けて帰ってきたので、息子を連れてきたと言うのです。そこで、刑事ホイルがその未成年者を目で探すのですが未成年者はいません。すると、その父親が、ここにといって指さすところを見ますと、なんと未成年者は死体になって帰ってきていたのです。
4 映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」より
同映画では、戦雲低く、波高いドーバー海峡を、多くの漁船やヨットが、ダンケルクから兵士を連れ帰るため渡って行く映像が見られます。
この時期のイギリス人で、自分の命を犠牲にしても、大義のために生きるという選択をした人(したがって、ダンケルクへ行くまで、行った後、ドイツ陸海空軍の餌食となって亡くなっていった人も)多く、他にも、チャーチルがダンケルクの入り口近くのカレーいたわずか4000名の部隊の司令官に、ダンケルクへのドイツ軍の攻撃を遅らせ、一人でも多くの将兵を救うため、その部隊が全滅する危険な戦いを命じ、司令官以下の部隊が全滅する出来事も起こっています。
5 崇高な人間的価値
戦えば惨禍を受け、妥協しても惨禍を受けるという極限状況の中、躊躇することなく戦う道を選んだチャーチルとイギリス国民の戦意。
後、ノーベル文学賞がチャーチルに授与されたとき、その理由の一つが、彼の「崇高な人間的価値を擁護する輝かしい弁舌」でした。しかし、この崇高な人間的価値の発揚は、彼だけでなく、このときの犠牲を顧みないで大義を貫いたイギリス国民皆にあったものと思われます。