弁護士と格言 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
3 家康が信長との同盟時代に学んだこと
(1)強くなければ、信長に滅ぼされることを知ったこと
強大を誇った今川家、不敗を誇った武田家は、氏真や勝頼の時代になると、あっという間に、七花八裂に粉砕されます。
弱いということは、国を失い、一族を滅亡させるというのが、戦国時代の真理です。
このような時代に、呑舟の魚ともいうべき信長と同盟を結ぶということは、我、弱ければ、呑むべし、というに等しい関係を結んだのですから、家康は、強くなければ、信長に呑み込まれることは知ったものと思われます。
家康、浅井朝倉との姉川の戦いで、信長から予備軍的な位置に置かれそうになったとき、我、戦見物に来たのではない、もし、予備軍に置かれるくらいなら、国に帰ると言って、信長を喜ばせます。そして、実際、姉川の戦いでは、家臣団全員が勇猛果敢に、織田方の誰の軍よりも、強い戦いを見せているのです。
これらを考えますと、家康の信長との同盟期間中、家康は、強くなることを求め続けた期間といえるでしょう。