弁護士と格言 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
一 出生から桶狭間の戦いまで
1 概略
1542年、徳川家康は、三河の岡崎城で生まれました。父は広忠、母は於大。
家康、六歳(以下年齢は数え)の折り、父・広忠が、織田家に奪われていた高天神城を攻めるため、今川義元に援軍を頼んだとき、交換条件として、人質になって駿府に行くことになります。
しかし、途中、織田家に身柄が奪われ、尾張の織田家の人質になるという、波乱の人生の幕開けを経験します。
その後、家康は、人質の交換により、織田家より今川家へ、所を変えることになりますが、人質生活は、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に伐たれるまで続きます。
この間、家康は、三河の家無し子という蔑みまで受ける人質生活を送るのですが、生母於大の陰からの支援、祖母である於大の生母源応尼の直接の温かい愛情、それに今川家の軍師にして名僧でもある太原雪斎からの薫陶を受け、人生の青春時代までを過ごします。
この時期、家康は婚姻をし、娘と息子(後の信康)をもうけます。
婚姻は、無論政略結婚になりますが、妻は今川義元の姪にあたります。