弁護士と格言 口論乙駁は,コンセンサスを求める場にふさわしからず
3 垓下の戦い
やがて、舞台は、項羽と劉邦の最後の戦いになった、垓下の戦いに移ります。
項羽が率いる楚軍は、劉邦が率いる漢軍を、鎧袖一触で破り、激しく追撃します。
漢の軍勢は逃げに逃げていきます。
やがて、四分五裂になったまま、垓下にまで落ちていくのです。
項羽は、今度こそは劉邦軍を追い詰めたと考えるのですが、なんぞ知らん、項羽が劉邦を追い詰めたと思った垓下こそ、韓信があらかじめ漢の兵を埋伏させた、項羽のために設けた死地だったのです。
狩人が設けた罠だったのです。
それを知った項羽は、それでも強かった。
名馬騅(すい)に乗って互角以上の戦いをするのです。
ここで、張良が、一策を施します。
漢の兵士に楚の歌を教え、それを連日連夜、項羽軍に向かって、歌わせるのです。
深夜、哀調を帯びた懐かしい故郷である楚の歌が、四方から流れて来、楚の兵士らは、望郷の情もだしがたく、脱走が相次ぐ結果になりました。
なお、「四面楚歌」という言葉は、ここから生まれた故事成語です。
ある朝、項羽は、海の潮が引いていったような、ほとんどの兵士がいなくなった寂寞を見いだし、愛する虞姫に向かって、「力は山を抜き気は世を蓋う。時に利あらず騅ゆかず。騅のゆかざるをいかにすべき。虞や虞や汝をいかにせん。」と慨嘆久しくするのです。
これを聞き、最後の時を知った虞姫は、項羽の剣を持ち、最後の舞を舞い、自刃するのです。
その後に咲いたのが虞美人草といわれます。
そして、項羽は、愛馬騅に乗って戦場を馳駆し、最後は、烏江で敗死するのです。