弁護士と格言 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
これまで書いて来た「孫子」に関するコラムを、整理しました。
いずれ一冊の本にし、その第一章とするつもりです。
これにより、過去に書いた「孫子」に関するコラムは、非公開としました。
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一 将の能にして、君の御せざる者は勝つ
1 楚漢の戦い
紀元前200年より少し前の頃、中華の大陸に、楚漢の戦い(別名・項羽と劉邦の戦い)がありました。
項羽は、楚の名門の血を受けた武将。
秦末の動乱に乗じて叔父と共に旗を揚げ、やがて西楚の覇王と号するほどの実力をつけます。
まことに、万夫不当の勇士です。
一方、劉邦は、農民出身で、とくに取り柄というものもない人物でしたが、彼には家臣の忠言、諫言によく耳を傾けるという美点がありました。
この点は、項羽にはない美点でした。
2 劉邦の美点と項羽の違い
劉邦には、良き家臣が雲集しています。
まずは、張良です。
張良は元・韓の宰相の子。
祖国韓が秦に滅ぼされたことから、その復讐のため、始皇帝暗殺まで企て、逃亡中の者。
知謀湧くがごとき人物です。
彼は、劉邦に善言と諫言を奉じていきます。
劉邦は、秦の首都咸陽に攻め入り、秦を滅ぼしますが、張良の言に従い、略奪をせず、三世子嬰を殺さず、秦の始皇帝が築いた阿房宮にも入らず、じっと我慢をします。
それに対し、項羽は、その後咸陽に入城した時、子嬰を殺し、財宝その他を略奪し、阿房宮に放火したのです。
この阿房宮(前殿の一棟だけで東西800メートル、東西150メートル、その屋根の下には1万人の収容が可能な、他に比肩するもののない宏大かつ壮麗な建物)、火が消えるまで3か月かかったといわれるほどのものでしたが・・・