弁護士と格言 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
第二次世界大戦発生の原因
1 勝者の愚行
チャーチルは、戦後彼が書いた「第二次世界大戦」(随想録)に、第二次世界大戦を引き起こした原因の第一に「勝者の愚行」を挙げています。
ここでいう「勝者」とは、第一次世界大戦の勝者のことです。
チャーチルは、①第一次世界大戦が終わった後に結ばれたベルサイユ平和条約の領土条項で、事実上ドイツの領土を元のままに残したこと(これをフランスのフオツシュ元帥が知ったとき、「これは平和ではない。二十年間の休戦だ。」と予言しています。)と、②経済条項で、チャーチルがいうところの有害で無益な、敗戦国ドイツに押しつけた支払能力をはるかに超えた過酷な賠償金を問題点として取り上げています。
前者①は寛大にすぎ、後者②は過酷にすぎた点を取り上げているのです。
前者①については、フランスが、過去何度かドイツ(プロイセン)から攻められ、その都度おびただしい人命を失ってき、ドイツに対する根強い恐怖心をもってきていたことから、第一次世界大戦の後は、ドイツの領土をライン川以東にするよう要求していたのを、米英に拒否されたこと(その代わり、ライン川以西のドイツ領であるラインラントは非武装地帯にした。しかし、後、簡単にドイツ軍が軍隊を入れた。)を指しているのです。
後者は、第一次世界大戦の戦勝国、特にフランスの国民のドイツに対する怒りを満足させるため、ドイツの支払能力をはるかに超える賠償金を課したこと、その結果1919年から23年にかけてなされたマルクの暴落とドイツの紙幣の増刷がハイパーインフレを引き起こし(マルクは英貨1ポンドに対して43兆マルクにまでに暴落)、ドイツの中産階級の貯蓄はゼロと化し国民の、また、国家の経済が破綻したこと、それらの責任はユダヤ人と共産主義者にあるとする激しい憎悪の念を掻き立てるナチズムが台頭したことなどを指しているのです。
このような結果からか、チャーチルは、第一次世界大戦の戦勝国がとった処置を「勝者の愚行」と名付けています。
そして、チャーチルは、第二次世界大戦ほど防止することが容易だった戦争はかつてなかった。もし、第一次世界大戦の戦勝国に、正しい確信に根ざした不動の信念、理にかなった常識、思慮分別さえあれば、第二次世界大戦を起こさせることはなかったはずだ。第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次世界大戦の戦勝国自身、「慎重とか自制とか中道」という名のきれいごとを並べただけのベルサイユ平和条約を結ぶことで事足りると考え、真に必要な安全保障の確立を怠ったことにあった旨述べているのです。
そして、チャーチルは、具体的な安全保障の施策として、ドイツを30年の間非武装のままにし、勝者がそれ相応に武装しておくべきであった。これは簡単にできたことだ。と書いているのです。
ところが、実際に戦勝国のしたことは、ドイツの領土は事実上そのままとし、ドイツに陸軍10万人を限度に軍隊を認めながら、戦勝国自身は戦艦を沈め、軍事施設を破壊し、兵隊の数を減らしたのです。
1921年ワシントン会議で、英米両国は、“勝者の武備を取り除かない限り、敗者の武備を説くのは道義に反する”と説明していますが、これなど余りに観念的なきれい事というべきことかもしれません。
その結果、フランスなど、常備軍50万人を20万人に減らされているのです。そのため、フランスは、第一次世界大戦の勝者でありながら、隣国のドイツにいつまた攻め込まれるかわからないという恐怖心をもって生活せざるを得ないという状況におかれたのです。その後、この恐怖心は、現実の死という惨害になっていったこと、歴史のとおりです。
2 ウインストン・チャーチルの偉大さ
第二次世界大戦の発生原因については、見る人の立場などで違いはあるでしょうが、戦勝国の首相であり、最も激しく戦意を燃やしてナチス・ドイツと戦ったウインストン・チャーチル自身が、その発生原因の一つとして、自分たち第一次世界大戦の勝者の「愚行」を挙げたことには驚きます。
ここに、冷徹かつ公正なな目で、歴史を見続けてきた、ウインストン・チャーチルの偉大さを感じます。