弁護士の心得 専門に特化しながら、専門外から謙虚に学ぶべし
4 ウインストン・チャーチルの戦い
(1)ダンケルクからの撤退戦
前述したウインストン・チャーチルの下院での演説の少し前から始まっていたダンケルクからの撤退戦は、あまりにも有名です。
ダンケルクの海岸で、救済を待つイギリスの将兵を、救済するために、イギリス国民は、自ら志願して、漁船やヨットまで出すのですが、その過程で多くの民間人や軍人が犠牲になっています。
NHKのBSテレビで放映された「刑事ホイル」は、この時代を背景にしたドラマです。
あるとき、刑事ホイルが未成年者を窃盗の嫌疑で逮捕したところ、その未成年者もその父親も、その未成年者は漁船を出してダンケルクに行きたい、行かせたい。必ず帰ってき、必ず出頭するので逮捕を待ってくれと懇願するのです。
そこで、刑事ホイルは未成年者の逮捕を見送り、彼をダンケルクに行かせました。
そして、ある日、その未成年者の父親が、刑事ホイルを訪ね、息子がダンケルクへ行き、兵士を助けて帰ってきたので、息子を連れてきたと言うのです。
そこで、刑事ホイルがその未成年者の姿を目で探すのですが、未成年者はいません。
すると、その父親が、ここにといって指さすところを見ますと、なんと未成年者は死体になって帰ってきていたのです。
これはドラマですが、映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」では、戦雲低く、波高いドーバー海峡を、多くの漁船やヨットが、兵士を連れ帰るため、ダンケルクへ渡って行く映像が見られます。
(2) カレーにとどまる司令官に対する全滅必至の攻撃命令
ダンケルクからの撤退戦を、少しでも遅らせるため、ウインストン・チャーチルは、ダンケルクの入り口近くのカレーにいたわずか四千名の部隊の司令官に、その部隊が全滅する危険な戦いを命じます。
その司令官は、その作戦を行うときは、自分たちが全員死ぬことを承知で、ウインストン・チャーチル命令を実行し、部隊が全滅しております。
この模様も、映画「ウインストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」の中で描かれています。
(3)フランス軍艦に対する撃沈命令
1940年6月22日フランスは、遂に、降伏しました。
1940年7月3日、ウインストン・チャーチルは、フランス海軍に属する戦艦などを、ドイツに渡させなくするため、フランス海軍に対し、複数の選択肢のいずれかを選択するよう求めます。
イギリス軍に引き渡す。自沈する。アメリカへ移動するなどの選択肢です。
しかし、フランス海軍は、回答ができません。
かくて、ウインストン・チャーチルは、最後の手段として、フランスの軍艦を沈没させる作戦を実行させるのです。
フランス兵の中には、イギリスの艦隊が来たことを、助けに来てくれたとものと思っていた兵士も多かったのですが、これら兵士から見て、イギリスの採った作戦は、味方からの艦砲射撃になりますが、味方に裏切られた思いのフランス将兵の、悲泣哀号の中、1000人以上の死者が出ております。
5 イギリス国民の選択
この時期のイギリス人で、自分の命を犠牲にしても、大義のために生きるという選択をした人は多く、他にも、戦えば惨禍を受け、妥協してもやがては惨禍を受けるという極限状況の中、躊躇することなく戦う道を選んだ、チャーチルとイギリス人の崇高な人間的価値。立派というほか、著者には言葉がありません。
以後、イギリスは5年間、ウインストン・チャーチルの指導の下で結束し、多くの犠牲(四十五万人の人的被害と空爆による物的被害)を出しましたが、戦い抜き、勝利していきます。