弁護士の心得 専門に特化しながら、専門外から謙虚に学ぶべし
人生の価値を創造する
この言葉は、山岡荘八の小説「徳川家康」の中に使われている言葉です。
この言葉は、千姫が秀頼に嫁ぎ、大阪城に入った時、共に入った大久保長安が、それまで想像もしなかった大阪城での秀頼の政治(長安の想像は、秀頼の側には重臣が詰め切って、政治は形だけにせよ重臣会議で決め、その結果を秀頼の耳に入れ、採択され、右筆に記録させて実行するような形態であったが、実際の政治は、淀の君が、側近くに仕える従者の言や、自身の妬心などの感情に左右されながら、多くの場合酒席の合間で即決するが、記録に残すことはなく、しかも、淀の君の決定や政治には誰も反対も批判もできないというものだった。)や秀頼の生活環境(秀頼を教える師父となるような人物は一人もいなく、生活には中心も緊張もなく、回りにいるのは同年配の小姓たちと女たちのみというものであったので、これでは駿馬として生まれ得たとしても、駄馬にしかならない環境)を見て、もし、長安自身が秀頼の執政だったとすれば、という空想の下、翼を広げてあれこれ考えていった、その途中で、長安は、何のために生まれてきたのかと、自問をし、反省をした時の言葉です。
大久保長安は、何のために生まれてきたのか?その人生の価値を急いで創造しなければならない多忙極まる身ではないか、秀頼のことなど考える暇はないはず・・・と。
何かが目に入り、思いが脇道にそれていくようなとき、ふと、自分自身は何のために生まれてきたのか?自分の人生の価値を、これからどのように創造していくべきか?と考える契機になるのではないかと思い、山岡荘八の、“人生の価値を創造する”という言葉を、ここに紹介いたします。
人それぞれが創造する、人生の価値とは、自己を益し、周りを益し、社会を益し、国家を益し、いささかなりとも、文化の創造、発展に寄与する、具体的な行動を伴った価値になるであろうと、思われます。
そのような具体的な行動を伴った価値は、苦悩や努力なしには生まれず、苦悩や努力は、また、その人を育てる効果があといえるでしょう。
無論、人生の価値の具体的な創造は、人類普遍の価値のある、また、核となる原則に発するものであるはずですが、その意味で、人生の価値を創造するという言葉、含意はなはだ深いものがあると思われます。
ここで、私は、少しく、大久保長安ではなく、その主人たる徳川家康が、いかなる人生の価値を具体的に創造したのかを、考えてみたいと思います。
近代日本の幕を開いた徳川家康の、人生における価値の創造は、他に比肩できないほどの、スケールのものになっていることが理解いただけるものと思われます。