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小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

「長崎の鐘」

2022年8月22日

テーマ:国語

コラムカテゴリ:スクール・習い事

 今日8月21日は、わたくしの敬愛する故藤山一郎先生のご命日です。言問学舎塾長ブログの記事を転載させていただきます。


 今年の3月、長崎を訪れた。27年ぶりのことである。稲佐山のホテルに一泊し、翌日は原水爆禁止長崎会議のお仕事に携わっておられる方にご案内いただいて、原爆資料館から平和公園、故永井隆博士の如己堂(にょこどう)や山里小学校、城山小学校を見て回った。

如己堂

如己堂案内板

 今日8月21日は、故藤山一郎先生のご命日である。お亡くなりになったのは1993(平成5)年のことだから、今年で29年になる。27年前に長崎を訪ねた時は、まだ亡くなられて2年に満たない頃であったから、私は長崎の被爆について学ぶとともに、先生がお歌いになった「長崎の鐘」を実地で歌うことを、大きな目的としていたのであった(その日も長崎は強い雨だった。だからその雨の中を歩きながら、幾度も繰り返し歌ったものである)。

 「長崎の鐘」は、サトウハチロー作詞、古関裕而作曲で、1949(昭和24)年に藤山一郎先生が歌われた。長崎医科大学の助教授(のち教授)として物理的療法科で放射線医学に携わり、そのため白血病を患っておられながら、原爆投下後は重傷の身を押して被爆者の治療に当たられた故永井 隆博士のご著書『長崎の鐘』に由来する曲名で、原爆の犠牲者を悼み平和を希求する佳曲である。永井博士の夫人はご自宅で原爆の犠牲となり、焼け跡からはご遺骨とロザリオだけが見つかったのだという。

 藤山先生とサトウ、古関のお三方が病床の永井博士を見舞われた際、博士は「寝ながら、筆を執って」(ステージでの藤山先生談)、次の短歌を書かれたという。

 あたらしき朝の光の射しそむる荒れ野にひびけ長崎の鐘   永井 隆



 この歌に、藤山先生はご自身で曲を付けられて、ステージで「長崎の鐘」フルコーラスのあとに続けてお歌いになっていた(永井博士の短歌には、古関裕而作曲版もあるという)。その通り、私自身も機会のある時には歌わせていただいている。また、今も手もとにあるステージのビデオに、藤山先生の「讃美歌に近い、祈りの気持ちで歌っております」というお言葉が残されている。

 藤山一郎先生に私が与えていただいたものは、これまで毎年、この日のブログにつづって来た。来年で先生が亡くなられてから30年になるが、どれほど時が経とうとも、その得がたい恵みがそこなわれることはない。今度は私が、お返しする番である。先生から頂戴した大きな恵みを、これからの若い人たち、未来を創る子どもたちのために。先人からいただいた恵みは、形を変えて後世の人たちに伝えていく。それがご恩に報いる唯一の道である。命ある限りお報いする、ということを、藤山先生は「長崎の鐘」に関連して述べていらした。微力ではあっても、私も同じ志を抱いてこれからの営為をすすめていきたい。



令和4(2022)年8月21日
小田原漂情

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