はしがき
暗黙知を形式知にすべしとの説は卓見
2023年2月10日付け日経新聞記事加藤勇志郎氏(キャディCEO)の語る「 私見卓見 ものづくりの『暗黙知』打破 」によれば、
➀日本の技術は言語化できる部分を言語化していないこと、
②それによる暗黙知はかつては競争力の源泉となっていたが、
③現在では外国企業との競争上不利になってきたこと、
④少なくとも汎用的な金属加工品の素材では、指定がない限り日本製は使われてはいない状況であること、
⑤日本のものづくりを再び活力を取り戻せるようにするには、暗黙知を形式知に変えていくことが必要だ。
⑥そのためには図面(仕様書も同じか)は企業間を超えた標準を作ることが大切になってきた。
⑦同氏が経営する会社は、「同じ標準のもとで図面のやり取りができるようにしている」こと
などが語られている。
この記事は、日本企業が誇る「巧みの技」も、暗黙知のままでは国際競争上は不利になっているということなのであろう。
卓見だと思う。
この記事を読んで思ったことは、日本の企業は、技術を出し惜しむ傾向なり伝統なりがあるということか?
また、この記事から連想したことだが、日本の企業がつくる契約書は、中味を曖昧にするものが多いが、これらはどこか通底するものがあるのか?
ということである。
言葉の意味:大辞泉によれば、
「形式知」とは「客観的で言語化できる知識」、
「暗黙知」とは「主観的で言語化することができない知識、たとえ言語化しても肝要なことを伝えようがない知識」
この二つの言葉は、ハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーのつくった言葉であるが、経営学者の野中郁次郎氏は、暗黙知の邦訳を「社員や技術者が暗黙のうちに有する、長年の経験や勘に基づく知識」と書かれている。