コラム18 習(なら)い、性(せい)
吉川英治が描く『私本太平記』の中に、楠正成が、一人の仮面(めん)師(し)(鑿(のみ)を使って人の顔を作る者)赤(しゃく)鶴(つる)一(いち)阿(あ)弥(み)の、神(しん)に入(い)った仕事場の姿に魅(み)せられる場面があります。その楠正成が、視線を外し、目を休ませていた間、今度は、赤鶴一阿弥が、楠正成の横顔に惹(ひ)きつけられ、凝(ぎょう)視(し)する場面が、それに続きます。
それに気がついた正成は、「……赤鶴。なんでおまえはそのように、さっきからわしの顔を見つめているのか」と咎(とが)めるふうではなく、尋ねます。すると、赤鶴一阿弥は、自らの不(ぶ)作(さ)法(ほう)を詫(わ)びた後、「媼(おうな)を見れば、媼の目じわ。荒くれを見れば荒くれの眉(まゆ)。かなしみ、よろこび、哀(あい)楽(らく)の色(いろ)、女(にょ)性(しょう)も餓(が)鬼(き)も貴(き)人(じん)も乞(こ)食(じき)も、仮面(めん)打(う)ちの目にはみなありがたい生き手本でござりますれば……」と言葉を続けます。仮面打ち一筋に生きてきた赤鶴一阿弥。そのような男が惹き付けられた楠正成の横顔とは、どのような顔であったのか。
青(せい)史(し)に名を残す楠正成と、ひとりの仮面師赤鶴一阿弥の、一(いち)場(じょう)での邂(かい)逅(こう)。いずれも一(いち)能(のう)の士です。
一能、万(ばん)芸(げい)に通ず、という言葉もあります。
職業人なら誰しも、一能を持ち、一能を磨き続ける一生でありたい、と思うであろう場面です。一能、すなわち、職業人の骨格と肉体を形成する能力。社会に生き、時代を生き、能力を開花させ、大(たい)輪(りん)の花を咲かせる能力。それはたった一つでよい。その一能を磨くことは大切です。ちなみに、ロータリークラブの会員(ロータリアン)は、全員、一能の士ばかりです。ロータリーとは、一能と一能の邂(かい)逅(こう)の場であるのです。