弁護士の心得 「できません」は禁句。「こうすればできます」で答えるべし。
三 ウインストン・チャーチルの才能
1 文章と弁舌
1953年、ウインストン・チャーチルは、ノーベル文学賞を受賞しました。
ノーベル文学賞受賞の理由として、チャーチルの著書「第二次世界大戦(回顧録)」に見られる「歴史的で伝記的な文章で見せた卓越した描写と、高邁な人間の価値を擁護する卓越した雄弁術」(for his mastery of historical and biographical description as well as for brilliant oratory in defending exalted human values.) が挙げられています。
彼の弁舌には、歴史の方向を変えるほどの力がありました。
1940年5月28日の弁舌は、ナチス・ドイツとの融和を求める有力な戦時内閣閣僚をも、戦争遂行を決意させた弁舌ですが、ナチス・ドイツの蹂躙になすすべなくフランスが降伏した直後の、ウインストン・チャーチルの演説(1940年6月18日)は、国民の戦意を高揚させる、格調の高い名演説として有名になっています。
What General Weygand called the Battle of France is over. I expect that the Battle of Britain is about to begin. Upon this battle depends the survival of Christian civilization. Upon it depends our own British life, and the long continuity of our institutions and our Empire. The whole fury and might of the enemy must very soon be turned on us. Hitler knows that he will have to break us in this Island or lose the war. If we can stand up to him, all Europe may be free and the life of the world may move forward into broad, sunlit uplands. But if we fail, then the whole world, including the United States, including all that we have known and cared for, will sink into the abyss of a new Dark Age made more sinister, and perhaps more protracted, by the lights of perverted science. Let us therefore brace ourselves to our duties, and so bear ourselves that, if the British Empire and its Commonwealth last for a thousand years, men will still say, "This was their finest hour.
邦訳
ウェイガン将軍が、フランスの戦いと呼んだものは、終わった。これから、イギリスの戦いが始まろうとしている。この戦いには、キリスト教文明の生存がかかっている。我々英国民の生活のすべてがかかっている。我々の社会と大英帝国が、今後も生き続けることができるかどうかがかかっている。やがて、敵の全勢力と全士気とは、我々に襲いかかるであろう。ヒットラーは知っている。この島(イギリス)において我々を倒さない限り、この戦争に敗北するしかないことを。我々がもし、彼に立ち向かい、勝てば、全ヨーロッパは解放され、全世界は、明るい光に照らされた高みへ前進するであろう。しかし、もし、我々が倒れれば、アメリカ合衆国を含む全世界が、そして我々が知り大切にしてきた全てが、科学を悪用した暗黒時代の深淵に沈むことになるだろう。そこで、我々は使命を遂行する決意を固め、立派にふるまおう。そうすれば、大英帝国とその連邦が続く限り、それが一千年であろうと、人々は、あの戦争の時が英国民の最も輝いた時であったと、言うであろう。
この格調高い演説は、イギリス以外にドイツと戦いうる勢力がなくなった中で、しかも、ドイツの強力な海軍と空軍による攻撃は必至という状況の中で、いな、まかり間違えば陸軍までがドーバー海峡を渡って、イギリスに直接上陸して攻撃することも予想される中で、国民の戦意を鼓舞し、高揚させ、イギリス国民の意思を一つにした演説ですので、後日ノーベル賞授与の理由の一つとして、「高邁な人間の価値を擁護する卓越した雄弁」が挙げられているのも、けだし当然というべきものと思われます。
2 文才と演説の才の淵源
ウインストン・チャーチルのこのような文章の才能と弁舌の才能は、どこから来たのか。
ウインストン・チャーチルの研究者の言によれば、ウインストン・チャーチルには、43冊(72巻)の著書があり、ノーベル文学賞を受賞した「第二次世界大戦(回顧録)」は205万語を超えるほどのものであるようです。
彼の著述は、1898年24歳にして、処女作「マラカンド野戦軍物語」を出版しているところからも分かるように、若い年齢のときから始めております。
彼の文才の淵源はといいますと、膨大な量の読書によって養われたところにあったようです。
ウインストン・チャーチルは、1896年、22歳のとき、イギリス領のインドに行きますが、ここでは戦争らしい戦争はなく、この時期、多くの書を読んでおります。
その中では、特にエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」の影響は大きかったようです。また、マコーリーの「古代ローマ詞藻集」やシェークスピアの作品は、諳誦できるほど文章を覚えたようです。
このような学びから、彼の文章は、正確な語彙、韻律、それに適切な比喩が特徴になっている由です。
なお、ハリウッド映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」では、チャーチルが、下院での演説のための原稿を書くとき、セネカの言葉を思いだし、書斎に飛び込み、セネカの著書を探してそのページを開く様が描かれていますので、そういうふうにして言葉を磨いていたものなのでしょう。
なお、適切な表現とは思いませんが、英国のジャーナリストであり歴史学者でもあるポール・ジョンソンは「チャーチルの能力は戦争を言語に変え、言語をお金に変える」ほどのものであった、という言葉を残しております。