公用文の書き方 5 “動詞は漢字で,補助動詞は平仮名で書く”と覚えるべし
1法則の中心にある理
漢字と仮名 使い分けの法則の中心にある理は、漢字は漢字固有の意味が生きて働いているときにのみ使い、漢字固有の意味が生きて働いていないときは漢字を使ってはならず、その場合は仮名で書く、というものですが、公用文を書く場合、下記②の法則の存在という制約がありますので、常に漢字で書くということはできません。
2公用文を書く場合の法則のうちの二つに関わる問題
漢字と仮名使い分けの法則の中にある幾つかの原則のうち、
① 「常用漢字表」に搭載されている漢字を、そこに書かれた“読み”(字音又は字訓)で読む場合は、原則としてその漢字を使わなければならないこと、
また、
② 「常用漢字表」に搭載されていない漢字は使ってはならないこと、
という二つの法則がありますが、
これらに関わる問題を取り上げてみます。
3 「伺う」と「うかがう」
文部科学省の「用字・用語の表記例」には、同じ動詞ですが、
「都合を伺う」という場合は「伺う」と漢字で書き、
「様子をうかがう」という場合は「うかがう」と仮名で書いています。
(1) 「都合を伺う」は原則に合致しているか?
「伺う」という漢字は、「尋ねる」や「問う」の謙譲語ですので、
ア 「都合を伺う」と書く場合の「伺う」という漢字使用は、漢字固有の意味が生きた使い方になっているうえ、
イ 「伺」という漢字は、「常用漢字表」に搭載されていて、
ウ 「うかがう」という字訓も与えられているところから、
「都合を伺う」と書くことは、前記①の法則に従った漢字の使用になっております。
したがって、「都合を伺う」という書き方は正しく、「都合をうかがう」と書くと間違いになります。
(2)「様子をうかがう」という書き方は、漢字と仮名使い分けの法則や原則に合致しているか?
「様子をうかがう」という場合の「うかがう」は、「ひそかに様子を探り調べる」という意味ですので、漢字で書くとすれば「窺う」になります。ですから、
ア 漢字と仮名使い分けの理に従えば、「様子を窺う」が正しい書き方になりますが、
イ 「窺」という漢字は「常用漢字表」搭載されていません。そのため、前記②の原則により「窺う」と書くことはできず、「うかがう」と仮名で書くことになります。
4 公用文でない文章を書く場合で、 「うかがう」を「窺う」と書きたいとき
前述のように、漢字と仮名 使い分けの法則の中心にある理は、漢字は漢字固有の意味が生きて働いているときにのみ使い、漢字固有の意味が生きて働いていないときは漢字を使ってはならず、その場合は仮名で書く、というものですが、そうであれば、「様子をうかがう」よりは、「様子を窺う」と書く方が、よさそうです。
ところで、公用文でない文章は、「常用漢字表」に従わなければならないというものではありませんので、例えば、「鼻息を窺う」状況を表現する場合、「鼻息をうかがう」よりは、漢字の訴求力により「鼻息を窺う」と書いた方が、迫真的であるだけ、効果的です。
特に、故実から生まれた語句や言い回し、古典に出典をのある言葉、
例えば、「管(くだ)を用いて天を窺う」
などという言い方は、「うかがう」と仮名で書いたのでは、出典(古典)と距離を置いてしまうように思えます。
要は、漢字で書かなければ、効果的ではないように思えるのです。
では、こういう場合はどうすればよいか?ですが、「窺う」と漢字で書いて、これに「うかがう」とルビを打つ方法もあるかと思われます。
4 公用文で、「窺う」と書きたい場合
公用文の場合、前記①及び②の原則どおりに書かねばなりませんので、「鼻息を窺う」とか、「天を窺う」などという表現をしたいと思う場合(もっとも、公用文では、このような場面のあることは想像できませんが。)でも、仮名で書かねばなりません。
専門用語の場合は、「常用漢字表」に搭載されていない漢字でも、ルビを打てば、書くことはできますが、「鼻息を窺う」の「窺う」は専門用語とはいえず、ルビを打ってその漢字を書くということは、公用文では、できません。