課税価格と相続税評価額とは違う
18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンが著した「ローマ帝国衰亡史」は、イギリスの首相ウインストン・チャーチルをはじめ、、インド首相ジャワルハル・ネルー、経済学者アダム・スミス、哲学者バートランド・ラッセルなどの著名人が愛読した名著(ウインストン・チャーチルは若い頃、この書籍に書かれた文体を模倣して文章を練り、後年「第二次大戦回顧録」を書いて、ノーベル文学賞を得たとされているほど)ですが、この中に「遺言の権利」という言葉が書かれています。
人の死を原因とする財産承継の権利は、我が国では「相続権」と表現されているのに、古代ローマ時代は、「遺言の権利」と表現されていることに興味を持ち、新版注釈民法(28)を開いてみますと、「ローマ古典期の遺言は、いわゆる相続人指定の遺言である。遺言書の冒頭に相続人指定の条項が書かれていることを要求する方式の遺言である。相続人指定は、遺言に不可欠の要素とされ、所定の場所に所定の文言で表示されていなければ、遺言は無効とされていた。それだけではない。遺言があれば、法定相続は完全に排除される。遺言の一部についてだけ処分がなされている場合でも、全遺産について遺言相続人が相続するとされたのである。」」と書かれており、また、その時代、「相続人指定は遺言の頭首であり基礎である」との法格言、及び、「何人も一部について遺言し、一部について無遺言で死亡することはできない。」との法格言まであったことが書かれています。
たしかに、これでは、古代ローマでは、「相続権」はなく、あったのは「遺言の権利」だったことがよく分かります。
思えば、ジュリアス・シーザーが、若くて無名のオクタビアヌスを、遺言で相続人と定め、そのおかげでオクタビアヌスは、シーザーの相続人となり、政治的な立場も承継し、やがて紀元前27年元老院からアウグストゥスの称号を受けて帝政を始めたのですから、遺言の効果たるや想像以上のものを感じます。
なお、シーザーが書いた遺言書については、シェークスピアが戯曲「ジュリアス・シーザー」の中で、ブルータス一味を追い詰め、敗亡させる原因になったことを描いておりますが、“死せる(諸葛亮)孔明、生きる(司馬懿)仲達を走らす”という人口に膾炙した言葉さながら、ここでは“死せるシーザー、生きるブルータスを走らす”の図を見せてくれています。
とまれ、遺言は、世界史の中でも、重要な役割を演じているようです。