弁護士の心得 専門に特化しながら、専門外から謙虚に学ぶべし
二流、三流の人間にとって、思想を信奉するほど、生きやすい道はない。
これは司馬遼太郎の言葉です。
司馬遼太郎は,続けて,「本来手段たるべきものが思想になり,いったん胎内で思想ができあがればそれが骨髄の中まで滲み入って,その思想以外の目で物を見ることもできなくなる」と言っております。
思想を信奉するだけの人間は,思想で物事の是非善悪を,実に簡単に決めてしまいますので,その思想が現実社会にどのような影響を与えるかを考える必要もなければ,その影響を正当化する論理も必要ないことになり,事実分析能力や論理構成力などが養われることはありません。
ただ,念仏を唱えるように,思想を口ずさむだけで,すべてがうまくいくと錯覚するのです。
1917年に,社会主義革命によって誕生したソ連は,“私有財産制度は悪である”という思想の下,1918年に相続法を廃止して,人が亡くなった時はその人に帰属していた財産はすべて国庫に帰属することにしました。
しかしながら,国民がこれに納得するはずはなく,また,財産の私有を許さない国が経済成長を遂げることはあり得ず,ソ連は,やがて相続法を復活させたのです。
思想だけで物事の是非善悪を決することの非現実性は,この一事をみても明らかです。
昔の弁護士の中には,判例よりも,また,論理よりも,思想(イデオロギー)で,事の是非を言う弁護士もいましたが,最近,そのような弁護士を見ることはほとんどありません。これは,人智の発達,文化の進展,現代人の成長というべきものと思いますが,ソ連の崩壊後多くの人がイデオロギーというものの非現実性を理解するに至ったことなどが原因しているのかもしれません。ソ連は,やがて,国そのものが維持できなくなり,崩壊していいったこと,周知のとおりです。