クイーン・エリザベス号乗船記⑤ 食事
「モンテ・クリスト伯」を読むと,人間というものは,その本質の部分で変わらないものだ,ということが教えられます。
ダンテスから許嫁を奪うため誣告に走ったフェルナンは,その陰険さと裏切りの精神は変わらず,後,彼は自らが仕えるギリシアのジャニナ地方の太守アリ・パシャを裏切り,殺害し,その娘を奴隷にして売るなどをしています。
妬みと犯罪の隠蔽とダンテスの地位を奪うためにフェルナンを使嗾したダングラールは,その後,モレルの引き立てで,銀行へ入って頭角を現し、フランス有数の銀行家にまで出世しながら,モレルが破綻に瀕し,彼の袖にすがろうとした時,その袖を振り払います。その身勝手さ,冷酷さは,エドモン・ダンテスにしたことと変わりません。
保身と出世のためにダンテスを牢獄に送り込んだヴィルフォールは,出世のため,侯爵の令嬢と結婚をし,検事総長まで出世しますが,出世につながらない犯罪の捜査を拒否し,不倫相手の女性が生んだ嬰児を殺そうとして生きたまま箱に入れて埋めようとします。なお,この嬰児殺し(未遂)は,犯罪捜査を拒否したことで復讐を誓った男に目撃され,後,こらが暴露され,ヴィルフォール自滅の一因になります。
悪をする者は,一度で終わるものではなく,同じような行為は繰り返されるということでしょうか?
また,このような悪はいずれ白日の下に晒され,身を破滅の淵に沈めてしまうということでしょうか?
人間というものは,その本質の部分で変わらないものだ,ということは,多くの経験事実からも理解できることですが,
「モンテ・クリスト伯」も,この事実を教えてくれます。
なお,このことは,史実からも知ることができます。
その一例を,明日のコラムで取り上げます。