労働 減給処分における減給額の制限
⑶ 評価は不要、事実で勝負
昨日のコラムで、Aを解雇した理由を、Aの仕事における能力不足に絞った、ということを書きましたが、いうまでもなく、「能力不足」という言葉は、評価概念です。これは、つまりは、Aという労働者の仕事を見て、会社が求める仕事ができないという評価を、会社がしたというにすぎません。
訴訟や労働審判で重要なことは、評価は、当事者やその代理人である弁護士がすべきことではなく、裁判所や労働審判委員会に、してもらわなければならないのです。
当事者や弁護士がすべきことは、裁判所や労働審判委員に、Aの能力不足と評価判断してもらえるだけの、事実の主張と立証なのです。
言葉を換えて言えば、「能力不足」という言葉を用いないで、「能力不足」を主張立証しなければならないのです。
別の表現でもって言いたいことを語った例として、七歩の詩という有名な詩があります。
これは、古代中国の三国時代、魏の曹操の子曹丕が、後継者争いをした弟・曹植を殺そうとして、曹植に、七歩歩く間に、兄弟という言葉を使わないで、兄弟の詩を作れ、それができないときはお前を殺す、と言い、詩を作らせたときの話です。
この難題に対し、曹植は、
豆を煮て持って羹(あつもの)を作り
豆支を漉(こ)して汁と為す
豆柄は釜下(ふか=釜の下)に在りて燃え
豆は釜中(ふちゅう=釜の中)に在りて泣く
本、同根自(よ)り生ず
相(あ)ひ煎(に)ること何ぞ太(はなは)だ急なると
という詩を作って、豆を曹植になぞらえ、豆柄を曹丕になぞらえ、同じ親から生まれた豆と豆柄であるのに、何故、豆柄は、豆を殺そうとするのか?兄弟の間柄なのに、あまりにむごい仕打ちではないかと、訴えたのです。そのため、曹丕は、大いに恥じ、おかげで、曹植は、詩を免れたのです。
この詩は、訴訟や労働審判での当事者の主張や立証とは、直接何の関係もありませんが、言いたいこと(Aの能力不足という評価)を、直接言うのではなくて、他の表現方法(具体的な事実を語る)をもって、言いたいことを理解してもらうという、評価と事実の関係が、この詩からなんとなく理解していただけるのではないかと思います。