ロータリー9 ロータリーでは、心緒乱れる経験は貴重
吉川英治は「私本太平記」を書くとき、この時代(鎌倉幕府の末から足利幕府ができ、やがて南北朝の抗争に続く時代)は、理想も、夢も、正義すらない、ただ破壊と殺戮だけの時代であったので、この長い物語は詩化して書くのがよいと述べています(趣旨)。むろん、河内の楠(くすのき)一族や九州の菊池(きくち)一族など、勤王の一部は、悲劇を奏(かな)でる運命にあったことから、これを叙事(じょじ)詩(し)にしなくとも、読者の涙を誘ったでしょうが、それ以外は、やはり、詩化した文章でもって書くのが正解だったように思います。
なお、詩化した文章といえば、次の文章なども、その代表格といえましょう。これは、たんなる電文でしかないものですが、これを詩化したため、千(せん)古(こ)の名文(めいぶん)として今日まで人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)し続けているからです。すなわち、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之(これ)を撃滅(げきめつ)せんとす。本日天気(てんき)晴朗(せいろう)なれども波高(なみたか)し。」という電文です。この電文は、日ロ戦争の天王山ともいうべき日本海海戦の戦端(せんたん)が、今まさに開かれんとする中で発せられた電文です。第1文は、連合艦隊幕僚室で起案して、参謀の秋山真之(あきやまさねゆき)に提出。秋山参謀、これを見て、よし、と応(こた)えましたが、兵士がそれを持って幕僚室へ帰ろうとしたとき、待て、と止め、その原稿の上に、さらさらと鉛筆で、第2文を書き加えたのです。その瞬間、歴史に残る、この千古の名文が誕生したのです。
参謀秋山真之は、「天気晴朗」によって視界が開けているさまを、したがって、敵軍バルチック艦隊を見逃すことはないことを、「波高し」によって海が荒れていることを、したがって、豊富な軍事訓練を繰り返し、満(まん)を持(じ)す日本軍が、長途の軍(ぐん)旅(りょ)を経(へ)てきたバルチック艦隊よりも有利な立場にあることを伝えたのだとされています。
文章を詩化して書くことは大切だと思います。