2020/07/20 雲煙万里の彼方へ
2020/10/17 ④帰国後の梅吉が、三井銀行に入社するまで
1895年に梅吉がアメリカ留学を終えて帰国した時、27歳。
時は、日清戦争が終わったばかりの年で、日本は台湾統治を始めた年である。
梅吉は、博文館という出版社に勤務し、そこが発行する総合雑誌「太陽」に記事を書くようになる。
勝海舟とも親交を結ぶようになる。
勝海舟は、坂本龍馬も弟子にするほど、人望厚く、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜に江戸城を無血開城させたほどの大立て者。
1896年、梅吉は、初めての本「提督彼(ペル)理(リ)(ペリー提督)」を出版した。
それが縁となり、梅吉は、当時出版社・博文館社長の大橋新太郎はじめ有名人と親交を深めるほか、ペリー家ともつながりを持つ。すなわち、ペリーの娘の一人に合うなどしている。
1896年、梅吉は米山家の一人娘春子と結婚。
しかし、給料が安く安定した生活ができず、給料のよい民間の鉄道会社に就職する。しかし、ここでは彼の能力を生かせず、この会社で知り合った人の紹介で、合名会社三井銀行に転職した。ちなみに、三井銀行は、財閥である。これが、1897年(明示30年)10月23日のこと。梅吉は29歳であった。