コラム
2020/11/14 ⑬ 激動の時代と梅吉の永眠まで
2020年11月14日 公開 / 2020年12月9日更新
2020/11/14 ⑬ 激動の時代と梅吉の永眠まで
ポールハリスが初来日したのは、1935年であるが、日本はその3年前の1932年には、国際連盟から脱退していた。
以後、アメリカ敵視を始めた軍部は、ロータリーを敵視するようになってきた。
特高(特別高等警察)が、ロータリークラブの例会に顔を出す。
ロータリークラブ幹部の会社へ来るなど、圧力が日増しに強くなってきた。
その頃から、日本のロータリークラブの例会では、国旗の掲揚と国歌斉唱を始めたようだ。
軍部の批判を避けるためだったようである。
梅吉は、1938年、東京の財界を代表して貴族院の勅選議員になった。
しかし、ロータリークラブに対する郡部の圧力は、ますます強くなり、例会に憲兵が来るようになったり、世間からも、ロータリアンは非国民だなどという非難が囂々と起きた結果、1940年東京ロータリークラブは臨時総会でクラブ解散を決議した。
しかし、ロータリークラブは、東京 や京都では「水曜会」、大阪では「金曜会」などという名に変えて、新たな活動を始めた。
「20年間に培ったものを枯らしてはならない。根を残して戦後につなげよう」と言葉の下で。
やがて、1941年、時局は最悪の戦争に突入した。太平洋戦争である。
1945年8月15日正午、天皇陛下(昭和天皇)の玉音放送により、日本国民は太平洋戦争が終わったことを知った。
1945年9月4日、梅吉は、終戦直後の帝国議会開院式に登院したが、院内で倒れた。
老齢の上体調を崩していたことによる。
そして、1946年4月28日に永眠した。享年79歳であった。
辞世の句は、「老いかつ病み なやめる身は吾が国の 新しき歴史みまもりてあらむ」というものであった。
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