2020/12/02 ロータリー通解④ ロータリアンの会合出席義務
2020/08/20 理由よりは原因が重要
私は、悪い講師について書いた日記(2020/07/19)を削除した。それに代えて、悪い講演(スピーチ)の原因を書くことにした。
すなわち、私が書いた悪い講師として、時間を守らない講師などの例を挙げたが、その原因をたどっていくと、悪い講師の悪い原因は、全て、原稿を書かずにスピーチをしたことにあることに気付いた。
私は、スピーチをする人には、2017年に封切られた映画「ウインストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を観ることをお薦めしたい。
この映画を見ると、ウインストン・チャーチルの国会(下院)での演説がしばしば出てくる。名演説である。
そして、その場面の直前には、ウインストン・チャーチルがスピーチ原稿を呻吟しながら練っている場面がでてくる。
つまり、ウインストン・チャーチルの名演説には、事前に原稿を書くという時間と準備が十分に取られていることが分かるのだ。
何を語るかを決める。
全体の構成を定める。
言葉探しを始める。
ウインストン・チャーチルの場合、映画では、この言葉探しのため、図書室に入り、セネカの著書を捜す場面もあった。
原稿を何度も何度も手直しする場面もあった。
全国民へのラジオを通してのスピーチで、スピーチまで1分を切った中でも、なお原稿を手直ししている場面もあった。
これほどの準備をしたからこそ、あの歴史に残る名演説が生まれたのであろう。
少し考えれば、分かることだが、1時間ないし2時間をかけて原稿を書き、それを基にするスピーチと、原稿なしでいきなりマイクをもって始めるスピーチと、どういう違いが生ずるかは、あまりに明瞭だ。
実は、この理は、公式訪問での会長挨拶を聴いて学んだことである。
原稿を手に持ってする会長挨拶は、すべて言辞明晰、意味明瞭であるが、原稿を持たずする会長挨拶は、饒舌に流れやすく、時間も総じて長い。
そして、そのわりには意味が明瞭とはいいがたいのである。