2020/12/10 環境と多様性について
2020/08/19 井原ロータリークラブへの公式訪問と、目に浮かんだ情景
今日は、井原ロータリークラブへ公式訪問に行った。
井原市では、地方都市の縮図を見た思いがした。
同時に、私は、27年前のある情景を思い出した。
ある情景とは、井原市に本社のあったS電器の社長室でのことだ。
忘れもしない平成5年3月1日のことだった。
私は、社長室で社長さんと向かい合って、ある書面をお見せし、今日から、S電気の管理権と経営権は、私とO氏の二人が行使することになりました。あなたには長い間、ご苦労さまでしたと、言うのが精一杯であった。
その直前まで、S電器には勢いがあった。
新たに工場を新築し、最新鋭の半導体製造装置を購入し、意気天を衝くほどの勢いがあったのだ。
しかし、突然、S電器は売上額の90%以上を挙げていたR社との取引が停止され、たちまち資金繰りに窮して会社更生法の適用を申請したのだ。
そして、私が法律管財人、地元財界の0氏が事業管財人に選任されたのだった。
私たちの前に座られた社長さんは、胸中さぞ無念な思いに打たれていたのであろうが、そんな思いはけぶりにも見せず、最後までご立派であった。
事務の引き継ぎも簡単にすんだ。
それらがひとわたり終わったとき、社長さんは、私に一枚の写真を見せてくださった。
それは、社長さんの御尊父が、羽織袴姿で、太い筆を握り、大きな画布に、見事な筆跡で工場新設を祝う言葉を揮毫し終わったところの写真であった。
そのとき私は、その墨痕淋漓たる文字に、社長さんご一族の喜びと、やがて世界市場を目指して雄飛せんとする意欲を見た思いがした。
S電器は、私とO氏が管財人になった後、百パーセント減資、スポンサーによる増資、アメリカのM社との半導体の取引などを通して、見事に立ち直った。
現在は社名を変更して、高収益企業に変貌している。
私は、この件を扱わせていただいて、弁護士として大いに成長し得たと思う。
このときの会社更生管財人の仕事が評価されて、その後またしても会社更生管財人に選任され、岡山地裁では唯一、二社の会社更生管財人経験者になりえたのだ(なお、その後、会社更生事件は、東京地裁と大阪地裁にしか管轄権はない)。
今日の公式訪問に、話を戻す。
井原市は、その当時からは2割程度人口を減らし、経済もかつてほどの勢いはないようだ。しかも、今はコロナ禍のさなかにある。
そのような厳しい環境の下、今年の井原ロータリークラブは、来年度が55周年となり、かつ、8年ぶりにガバナー補佐を誕生させる年度となることから、今年度は、来年度の飛躍を期して、雌伏の年度にするとのことだ。
たしかに、ロータリークラブにも雌伏の年度はあってもよい。
諺にも、尺蠖(しゃっかく)の屈(かが)めるは伸(の)びんがためなりとも、蛟龍(こうりゅう)の淵(ふち)にひそむは昇(のぼ)らんがためなりという言葉があるくらいだからだ。
だから、井原ロータリークラブの川井会長は、今を大切にされている。
例会の席では、親睦を求めて集まるロータリアンたちの熱い情熱がみなぎっていた。
この日の例会では、山下会長が、見事な会長挨拶をされた。
すなわち、会長は、少し長い詩になりますが、と前置きされて、「私はできる」という題の、アメリカ第44代大統領オバマ氏の、一世を風靡した詩を読み上げられたのだ。
「負けそうだなと思うと、あなたは負ける。・・・・失敗しそうだと思うと、あなたは失敗する。・・・・・・YES I CAN 私はできる。そう願う人が勝つのだから」。
18行、260文字程度の詩文であった。
私は、かつてこれほどの時宜を得た詩の引用だけによる名演説を聴いたことはなかった。
井原は、私にとって、人間的にも大きく成長させていただいた土地になる。
だから、井原ロータリークラブには、いつまでも声援を送りたい。