クイーン・エリザベス号乗船記③ 寄港地
「戦い」は、「敵に勝つこと(戦勝)」を目的とした場合に使う語であり、「闘い」は、「己に克つこと(克己)」を目的とした場合に使う語である、とされています。
マスコミは、「闘い」という語を使っています。
コロナ・ウイルスの蔓延が招いたものは、多くの人の生活面や仕事面に与えた苦痛です。ここから、その苦痛を打開するための「たたかい」が始まったわけですが、ウイルスが地球上からなくなることは決してなく、人類はウイルスとの共生の中で生活し仕事をしなければならないことを思えば、人類のコロナ・ウイルスとの「たたかい」は、結局のところ、その中で苦しむ人の一人一人の「己との闘い」、「苦しみとの闘い」というほかありません。
ですから、現在、多くの人は、コロナ禍の中、己との苦しい闘いを強いられているのです。
しかし、人知のすばらしさといいましょうか。苦しみとの闘いは、その渦中にある人に、
アレキサンドル・デュマのいう「哲学」を与えてくれます。
デュマに言わせると、
苦しみは、人に、哲学を与える。
哲学とは、輝きわたる雲だ。
それは、人智の中に隠れている不思議な鉱脈から掘り出されるものだ。
鉱脈を掘るためには、苦しみや不幸というものが必要なのだ。
では、哲学とは何かというと、形をなしていない人生で学んだ多くのもの(デュマのいう「深い学殖」)を明瞭な原理に帰納してわかりやすく示ものだ。
哲学は習えぬ。また、教えられぬ。
ということになります。
コロナ禍の中、急速に進んだビデオ会議などは、その所産の一つだと思います。
闘いに克つことは、とりもなおさず、人々に、知恵を与え、知略を与え、哲学を与えてくれるのですから、ビデオ会議以外でも、克つ手段はこれから、もっと多く、見いだされることでしょう。