事業の承継9 経営の才は、経綸の才に通ず
時は幕末。三井家で生まれた広岡浅子は,17歳で,豪商の一つ両替商の加島家に嫁入りします。それまで実家では,女に教育は不要という思想の下,十分な教育は受けていません。加島家へ嫁いでみて,事業の経営は,番頭,手代任せにし,主人は経営に関与していない現実を知ります。これに疑問をもった浅子は,簿記,算術などを独学するようになります。
時代はまさに動乱。莫大な藩札を抱える両替商は,幕藩体制が崩壊すれば,藩札が紙くず同然になり破綻する,という噂が飛び交う中,取り付け騒ぎが起こります。破産する両替商も出ましたが,浅子は,陣頭指揮で,取り付けに応じます。しかし,破綻寸前にまで追いやられるのです。
このとき,九州の炭鉱が売りが出たことを知り,買い受けます。代金の一部は,実家の三井の援助などもありましたが,一部は売主を説得しての後払い。そして,夫の反対を押し切って,懐に五代友厚からもらった拳銃を忍ばせ,九州の炭鉱へ乗り込みます。この時の浅子は芳紀まさに20歳です。
その後,炭鉱で火災事故が起きます。火を消すためには炭鉱に多量の水を入れねばなりません。被災者の家族を説得し,生きている者がいても確実な死を招く放水を,被災者家族の悲泣哀号の嵐の中,始めます。
並の男ではできない仕事をこなしていくのです。
明治維新は貨幣制度を統一しました。これにより両替商の時代は終わります。
浅子は,一念発起,銀行の設立に動きます。加島銀行です。やがて,生命保険の必要性を痛感,大同生命創業に参画していきます。
このあたりの広岡浅子の姿には,淵に潜み,苦難に耐えた竜が,時至って,雲を呼び,天に飛翔する姿と重なります。
人は人を呼ぶ。
浅子は,やがて,成瀬仁蔵という人物を知ります。広瀬は会いたくて会った人物ではありません。薦める人がいて断り切れず会った人物ですが,この出会いが,浅子の運命を,更に,一段と,前へ進ませます。浅子は,成瀬の著書である『女子教育』を読んで,蒙を啓かせられるのです。これがやがて日本女子大学校の創設につながるのです。
人と人のつながりは,続きます。次は,宮川経輝牧師と知り合うのです。これにより浅子は洗礼を受け,世界がまた一段と広がります。
晩年は,私塾といってもよい勉強会を開きます。この中には,若き日の市川房枝や村岡花子(赤毛のアンの翻訳者)らもいました。
浅子は,亡くなる寸前まで,執筆と講演をを続けます。テーマは,女子教育とキリストの愛です。
大阪女の土性骨を顕した大器,大才。否,日本の女性実業家の大物。
これは私の讃辞です。