賢い事業承継の手順 2 経営者が持つ自社株の価額を知ること
ここでいう遺言と遺風というのは、五丈原で病を得て陣没した諸葛孔明の遺言と遺風のことです。
諸葛孔明は、劉備玄徳より遺孤劉禅を託され、漢朝の復興という大業の達成のため、魏を伐たんとして北伐を繰り返すのですが、志半ばにして、亡くなります。その孔明が、亡くなる前、五丈原からの撤兵の方策、味方の将である魏延が起こすであろう謀反に対する処置を馬袋に指示します。その結果、孔明の死直後、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事成語が生まれるような、みごとな撤兵を実現し、また、謀反を起こした魏延に対しては、正々堂々の名乗りを挙げた馬袋によって誅殺させます。
そして、孔明は遺言を残します。その遺言は、孔明亡き後の蜀の国を、武では孔明が軍略のすべてを教えた姜維、文では蒋琬はじめ孔明子飼いの者に託すという内容です。
その時点における蜀の国の実力者は、楊儀ですが、楊儀の性は狷介(けんかい)なりとして、彼には後事を託さず、平凡だか忠誠の人である蒋琬らに託したのです。
これらにより、以後、蜀は、彼らが支柱となる「死しても死せざる孔明の守り」によって30年間、国を保っていくのです。
しかしながら、30年も経つと、支柱となった人たちも亡くなります。
「支柱を失うと、必ず内争始まる」の喩えのとおり、佞臣が現れ、内争が始まります。
宦官が、暗弱な劉禅を、日夜の歓宴に誘い入れ、内部から腐っていくのです。すえたる果物カゴの中の一個の果物のみがすえないでいれるわけはなく、劉禅も腐っていくのです。 そして、突然、魏軍が蜀の首都成都に乱入し、劉禅に城下の誓いをさせた(敵に城を攻め落とされて降参する意味)ことにより、蜀の国は滅びるのです。
魏蜀呉三国争覇の時代に、最弱国で、強いリーダーシップを持った指導者もいない中で、孔明が亡くなった後、30年間も、蜀が、国を保ってきたこと自体、奇跡といってもよいことですが、それが、孔明による遺言、遺風、薫化だとすれば、事業経営者も、また、後継者のみならず,事業を支える幹部たちを薫化、薫育するときは、30年間は、その効果が続き、次の代も、正しく先代の衣鉢を継いであれば、さらに30年間、効果が続くことになりますが,累代優れた後継者が続けば、企業は,薫化していく人たちの範囲を広げながら,永遠に発展をし続けることになるのだろうと思われます。
いわば,善の末広がりの循環になるのだろうと思われるのです。
100年,200年,300年と続く企業とは,そういう企業なのでしょう。