事業の承継9 経営の才は、経綸の才に通ず
シェークスピアの四大悲劇の一つ「リア王」は、ブリテン王国を三つに分割して、三人の娘に後を継がせようとし、三人それぞれの考えを尋ねます。
長女のグルネリと次女のリーガンは、口に蜜、肚に剣をもって、リア王を絶賛し、この上もない良い後継者を演じます。
三女のコーディリアは、真心はあるものの、心にもない美辞麗句を並べることはしません。
そのため、リア王は、ブリテン国を二分割して長女と次女に与えます。
コーディリアは勘当されますが,フランス王が,コーディリアこそ王妃にふさわしい人と考え,フランス王の妃に迎え入れます。
さて、リア王のその後は,といいますと,周知の如く,長女と次女に冷遇され,王の尊厳はいうもおろか,人としての尊厳すら踏みにじられ、嵐の荒野に追放されるのです。
やがて,コーディリアがフランス軍を連れて救出にきてくれるのですが,英仏軍の戦いの果て,虜囚の身に陥り,殺され,リア王は、コーディリアの遺体を抱き、絶叫して世を去るという図になるのです。
我が事務所にも,リア王の気持ちをもって,相談に来られる,経営者が,毎年,確実に複数,おられます。
親は,苦心惨憺の前半生を有しているだけに,人情の機微を知り尽くし,顧客大事,従業員大事を第一義として,経営に心血を注いできており,経営の安定期に入っても,なお,同じ緊張感の中で,経営に腐心しますが,親の苦闘する姿を知らない息子は,親の心子知らずの喩えどおり,食べられなくなるという恐怖や緊張感はありません。
人生における,この経験の差。
この差は,経営における大きな差になり,親子の断裂につながることがあるのです。
経営者は,自らの苦闘の経験から学び得た哲学を,分かりやすい言葉で,後継者たる子に,伝え続ける必要があるのでしょうが,しかし,観念の中に入る言葉には,力がありません。諺にも,可愛い子には旅をさせよ,とか,苦労は買ってでもせよとか,いわれているのですから,子を優れた後継者にするには,優れた経営者になりうる経験もさせねばならないのでしょう。
しかしながら,これも,言うは易く行うは難しという譬えのとおり,これ以上は,私にも,ここで書く智恵はありません。
ただ間違いなくいえることは,現在という時代にあっては,親が子を代表取締役にしたことで,その親が,その子から,株主総会決議不存在を理由に,退職慰労金を返還せよ,という訴訟が起こされる現実があるということです。
この現実を,世知辛い世と思えば,会社経営者は,死ぬ直前まで,会社の支配権(普通株式なら過半数の株式を保有するか,あるいは株主の属人的扱いとして,あるいは種類株式を利用して,会社の取締役を選任する権限)は握っておく備えをしておくべきでしょう。