公用文用語 もと(「下」と「元」と「基」)の使い分け
これは,映画にもなったマーガレット・ミッチェル原作の「Gone With the Wind」の邦訳として,いずれが正しい語句の書き方になるか,という問題です。
原作者がこの題名の「With」の「W」を大文字にしていることからも明らかなように,邦訳は,「風と共に去りぬ」でなければなりません。
この小説の結末は,主人公スカーレット・オハラが,自分が真に愛しているのはレッド・バトラーであることに気がつき,レッド・バトラーの元へ帰ろうとしたのですが,レッド・バトラーは,スカーレットの言葉を信じることができず,去って行きます。
その時,スカーレットは,「そうだ。故郷のターラへ帰ろう。明日は明日の風が吹くわ。」(原語では "Tomorrow is another day."ですが,題名とマッチした優れた訳になています。)とつぶやくのですが,このスカーレットの思いを表現したのが,風と「共に」なのです。
ここでの「風」は,スカーレットの,どんな過酷な運命にも打ち勝ってきた強靱な生命力から生まれる希望を象徴するものですが,スカーレットは,この風と「共に」に去ったのです。
ですから,この「風」は彼女の属性そのものであり,それとは無関係なものではないのです。
スカーレットはこの風と「共に」去っていったから,多くの読者は,やがてスカーレットは持ち前の明るさに,一段と逞しくなった智恵を働かせて,天賦(ぷ)の美貌やチャーミングな笑顔を武器に,どのようにしてレッド・バトラーの心を取り戻すだろうかという期待や希望を抱き得るのではないかと思います。
もし,題名のうちの「With」が「with」であり,邦訳が「共に」ではなく「ともに」であるとすれば,その「風」はスカーレットの属性ではないことになり,たんなる時代の風,すなわち南北戦争直後の混沌とした世相を意味するものになってしまいます。
そうなれば,スカーレットは,レッド・バトラーまでをも失い,孤影悄然たる姿で去っていったという寂寥(りょう)感しか,読者に与えないのではないかと思えます。
漢字で「共に」と書く場合は,「共に」に特別な意味を込めているということが明らかに分かります。漢字の持つ訴求力というべきものです。一方,平仮名で書くと,その訴求力はありません。
文や文章では,“漢字固有の意味を,読者に訴求したいときは漢字で書き,訴求を欲しないときは平仮名で書くことが重要です。