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小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

難読地名「間人」・・・「たいざ」と読みます!その名前の由来など

2013年5月1日 公開 / 2013年5月8日更新

テーマ:小田原漂情

コラムカテゴリ:スクール・習い事

 30歳前後の若いころ、名古屋に住んでいました。そしてゴールデンウィークの前半には、決まってひとり旅をしました(もちろん独身でしたよ)。

 そんな旅の中で、忘れられない場所の一つに、今は京丹後市となっている当時の竹野郡丹後町、丹後半島の「間人=たいざ」があります。冬は間人ガニで有名ですね。

 聖徳太子は実在しない、という説が、かなり強く言われるようになって来ました。もちろん、聖徳太子の実体である厩戸皇子(うまやどのおうじ)は、実際にいた人物です。「間人」をなぜ「たいざ」と読むのかということは、厩戸皇子に少し関係があります。

 というのは、この間人には、厩戸皇子の生母である穴穂部間人(はしひと)皇后の屯倉(みやけ)があり、皇后は中央の政変を逃れて、この間人に住んでおられたことが、あったのだそうです。そして退座されたことと、この屯倉が土地の人々に与えられたことの関係から、皇后の「間人」に「たいざ」の読みをあて、「間人=たいざ」という地名が生まれたのだと伝えられています。

 私はこの間人をたずねる前の年に、丹後半島の東側の伊根に泊り、帰る日に経ヶ岬(きょうがみさき)に足をのばして、「間人」行きのバスに、心をひかれました。そして翌年、同じゴールデンウィークの前半に、京都から丹後をめざし、晴れて間人の宿に泊ることができました。その宿には(『炭平』さんといいます)、3年後にふたたび新婚旅行で訪れて、たいへんお世話になりました。

 東京に住んでいると、丹後はなかなか遠く、行きたい行きたいと思いながらも、その後は足を運ぶことができていません。けれども、あの頃の旅を思い出すこの時期、たまたま実家から持ちかえって来た当時の同人誌掲載の紀行文を読み、間人とのかかわりをご紹介したくなって、一文をしたためた次第です。あわせて一首、これも旧作ですが、ご一瞥いただければ幸いです。

 うらにしの吹きつのるとほき岬指しことしの冬は旅に出でなむ     漂情

※うらにし・・・丹後半島で、冬に雪まじりで吹きつける強い風のことを言います。経ヶ岬では、雪は下から吹き上げて来るそうです。

参考文献 『間人皇后』 港井清七郎 機関紙共同出版
     『京都の伝説』角川書店

◇こちらもあわせてご覧下さい。
漂情旅日記篇 
短編小説 『ゆくりなき会い』 

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