コラム
2021/03/07 渋沢栄一が日本資本主義の父と言われるゆえんのもの
2021年3月8日 公開 / 2021年3月11日更新
2021/03/07 渋沢栄一が日本資本主義の父と言われるゆえんのもの
渋沢栄一は、1840年(天保11年)に百姓の子に生まれるが、やがては一橋慶喜に仕える武士になり、1867年パリで開かれた万国博覧会に、慶喜の異母弟が徳川将軍家の名代として招待されるやその随行員の一人としてフランスへ行き、ヨーロッパ諸国を遊歴する中で、資本主義の根幹をなす“不特定多数の出資者から資金を集め、個人では到底できない大きな事業を興す”合本組織(株式会社のこと。当時は株式会社という言葉はなかった。)の魅力の虜になり、帰国後、新政府吏員として新しい日本を創造する仕事の一翼を担うや、彼が魅せられた「合本組織」をつくっていこうとしたが、当時の商人はおしなべて教育はなく、視野狭く、資本と人材を糾合して事業を興す発想もなく、また、政治を行う権力者の側にも合本組織を理解する者はいなかった。そこで、渋沢栄一は、官を辞し、野に下り、自らの手で合本組織をつくっていくことにした。
彼が最初につくったのは銀行であった。複数の財閥にも出資してもらい、自らも出資し、その他多数も出資した。次いで、出資者が自由に株式を売買することを可能にする株式取引所をつくった。それに続けて、海上保険、製紙業(新聞紙の製造を目的)人造肥料業など、産業の無かったところに、新しい産業を担う会社を、次々つくっていったのである。その数は500社近いものであったとか。
彼が資本主義の父として歩んだ道は、決して平坦ではなかった。共につくっていこうとする商人側の無知・無理解・無教養、新しい企業の設立を認める側の権力の無知と横暴、こういうものとの闘いがあったのである。
もし少しでも、渋沢栄一に邪心があれば、一度に破綻したであろう。
その一事をとっても、彼には邪心はなく、ロータリーでいう職業奉仕を実践していったことは、明白であったというべきだろう。
コラムのテーマ一覧
- 時々のメモ
- コーポレートガバナンス改革
- 企業法務の勘所
- 宅建業法
- 法令満作
- コラム50選
- コロナ禍と企業法務
- 菊池捷男のガバナー日記
- 令和時代の相続法
- 改正相続法の解説
- 相続(その他篇)
- 相続(遺言篇)
- 相続(相続税篇)
- 相続(相続放棄篇)
- 相続(遺産分割篇)
- 相続(遺留分篇)
- 会社法講義
- イラストによる相続法
- 菊池と後藤の会社法
- 会社関係法
- 相続判例法理
- 事業の承継
- 不動産法(売買編まとめ)
- 不動産法(賃貸借編)
- マンション
- 債権法改正と契約実務
- 諺にして学ぶ法
- その他
- 遺言執行者の権限の明確化
- 公用文用語
- 法令用語
- 危機管理
- 大切にしたいもの
- 歴史と偉人と言葉
- 契約書
- 民法雑学
- 民法と税法
- 商取引
- 地方行政
- 建築
- 労働
- 離婚
- 著作権
- 不動産
- 交通事故
- 相続相談
カテゴリから記事を探す
菊池捷男プロへの
お問い合わせ
マイベストプロを見た
と言うとスムーズです
勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。