2020/08/02 職業奉仕と地域経済
2020/12/23 リーダーシップ⑪ 浅慮の一失にどう備えるか
昨日の日記に、劉備玄徳が白帝城に逃げたことまでを書いたが、やがて劉備はここで亡くなった。
それまで、劉備は、仁(優しさ)と義(正義)の人として、多くの人から慕われ、無謀な戦争などしなかったが、呉軍との夷陵の戦いだけは、別であった。
この戦いは、すべきではなかった。それは、それまでの呉と蜀の関係(孫・劉同盟)を壊す愚戦であったこと、戦いの動機が、関羽が呉軍の呂蒙との戦いで殺されたことを原因とする復讐戦であったこと(なお、関羽が殺された戦いも、元はといえば関羽が自ら招いたところがあり、決して呉を不倶戴天の敵視すべきではなかったこと)、諸葛亮孔明や趙雲までが呉と戦うことに反対したこと、などから明らかであった。
しかし、劉備は呉を攻撃し大敗した。まさに千慮の一失であった。そして、深い反省の上に、自分の無思慮を恥じ、悔いの中で亡くなったのである。
ここにも、復讐のみを目的とした戦いは、大局観のない戦いとなり必ず失敗するという歴史の教訓が生きている。
なお、呉の孫権は、夷陵の戦いの後、白帝城に逃げた劉備軍を攻めないだけでなく、逆に、夷陵の戦いで得た戦利品(軍需物資と捕虜となった蜀軍の将兵)を、劉備側に引き渡しているが、この事実を見るだけで、劉備のした呉との戦いが愚戦であったことは明瞭だろう。
いずれにせよ、リーダーとして優れた資質を持った人物でも、“知者にも千に三つの間違いあり”と言われるごとく、千慮の一失というものはあるのだ。
リーダーシップを論ずる場合、誰にでも起こりうる千慮の一失に、どう備えるかも、日頃かんがえておく必要があるのかもしれない。