2021/04/08 美しい文とは、当て字を使わない文のこと
2020/12/13 リーダーシップ② 賞賛を求める者も、また、愚
昨日に続けて周瑜の話をする。
呉の大都督であった周瑜は、機略縦横の才をもって、赤壁の戦いにおいて、曹操軍を破り、大勝利を収めたが、その直後、まだ曹操軍の一部の武将が占拠していた南郡の城を攻めるに当たって、同盟軍である劉邦軍の劉邦や孔明に対し、30日以内に呉軍が南郡を攻め落とせば南郡は呉の物とするが、もし呉軍が30日以内に南郡を攻め落とせなかったときは、南郡は劉邦が攻め落とせばよいと言いだし、そしてその約束をした。
しかし、周瑜は、約束の日限に南郡の城を攻め落とせなかったばかりか、周瑜自身の身に曹操軍の側からの毒矢を受けて重傷を負ってしました。
そして、周瑜は、南郡の城にへんぽんと翻る劉備軍の旗を見て(南郡の城は、結局孔明の策で劉邦が落としたのである。)、「天はなぜ、この世に周瑜を生みながら諸葛亮孔明まで生んだのか」と悲憤慷慨のあまり、血を吐いて昏倒した。
周瑜の最大の欠点は、他人の才能に嫉妬する点にあったこと、昨日の日記に書いたが、他人に嫉妬する者は、また、自分自身が他人から賞賛されることを欲する欠点も持っている。
周瑜もそうであった。
周瑜も、大才を持った諸葛孔明さえいなければ、冷静に軍略を施し、赤壁の戦い後も、曹操軍から南郡ばかりか荊州を全部奪い取り、その支配下に置いたかもしれない。
しかし、大器である孔明はいた。
そして、小器は大器には勝てない。
嫉妬し,自己の偉大さを周囲の者に賞賛させても、小器が大器になれるわけはない。
人は、特に才能豊かと思い上がる者は、他人に自分自身を賞賛することを求めがちであるが、“人生、得意は時短く、不遇は長い” ものだという真理を噛みしめ、一時の得意に有頂天とならず、不遇が常だと思って言動すべきものと思われる。