2021/05/04 多様性に関する、昨日の続き
2020/10/05 倉敷東RC公式訪問記
このクラブにも嚢中(のうちゅう)の錐(きり) がいた。幹事の宅和さんだ。
会長・幹事懇親会の席で、倉敷東RCがしてきた居場所のない子を支援する「子供食堂」の支援事業の話を聴いたとき、私が、岡山西南RCから聴いていた「夜間中学」の問題も取り上げ、日本にも、義務教育を受けていない気の毒な人たちがいることの話をし、その問題ともども、話題の俎上に上げたときだ。
幹事の宅和さんが、いま私たちが会長・幹事懇談会を行っているこの場所は、かつて大原孫三郎さんが、倉敷紡績の女工さんたちのために学校を設けた場所だと教えてくださったのだ。
すなわち、この場所は、大原さんの建てていた紡績工場の跡地に建てられた多目的建物(倉敷アイビースクエア)であったが、大原さんは、紡績工場を建築するとき、イの一番に女工さんのための学校を建てたと、宅和さん言われたのだ。
そこから、会長・幹事懇談会での話は、大原孫三郎さんが女工さんたちのために学校を建てられた当時の社会情勢から大原さんが残された事績の数々に及んでいったのだ。
むろん、その内容は、私と随行幹事の中川さんから宅和さんに質問し、宅和さんが答える形で、つまびらかにされていったのであるが、恥ずかしながら、私は、抽象的でしか大原孫三郎さんの偉業を知ってはいなかった。
しかし、宅和さんの話は、具体的で、分かりやすいものであったことから、私は、宅和さんのその話しぶりにすっかり魅了されてしまった。
かくして、会長・幹事会はあっという間に終わったが、最後に、私は、宅和さんに、大原孫三郎さんのしてきた事績は、ロータリーが今している奉仕の鏡とすべきものなので、宅和さんが今日語られた話を文章にして、「ロータリーの友」に寄稿することを懇請した。
そして、宅和さんから、その承諾を得た。と、私は思っている。
私がガバナーになって、今日ほど、ガバナーになったことに感謝したことはない。
【言葉の意味】
嚢中の錐:・・・すぐれた人は多くの人の中にいてもその才能が自然に外に現れて目立つことのたとえ。(大辞泉)