一字違えば意味違う (相続放棄と相続分の放棄)
この諺は,能力給の本質を突いたものであろう。
会社は、従業員に、仕事を評価して、給与を支払う。これが資本主義の資本主義たるゆえんである。 働かざる者、食うべからず、ではなく,働く者,働きに応じた糧を得る,ということだ。
ここには,重要ならざる仕事しかできない従業員には、重要な仕事のできる従業員より給与が低いのは当然だという考えが根底にある。
会社従業員を,人事権の行使として降格にしたところ,降格後の地位では、従前の給与が得られず減給になるということもあるだろう。その降格がやむを得ない理由による場合は、減給もやむを得ないのだ。
東京地裁平成26年1月14日判決を紹介しよう。
ある男性社員のことだ。会社の業務全般を統括するジェネラルマネージャー(GM)の地位にあったが、会社内でセクハラ行為をしたため、会社から,その従業員には会社の業務全般を統括する適格性が欠けると判断され、平のマネージャーに降格された。判決では、この降格はやむを得ぬ降格とされたが,これは,セクハラをするような従業員は、多くの従業員を支配下において、辣腕をふるうということは期待されない存在になったということなのだ。その結果,平のマネージャーとしての給与しか支払ってもらえないことになった。判決は,これを当然のこととして,是認した。要は、資格・能力を理由にした降格では、職能給が減額になるのは,当然とされたのだ。
ところで、降格されたこの従業員の降格後の給与だが、会社は、平のマネージャーに支払う給与基準のうち、最低ランクの職能給しか支給しなかった。降格前の給与と、降格後の給与とでは、22万円の大差が生じたが、判決は、マネージャーに支給される職能給にランクがある場合,会社が,どのランクの金額を支給するかは会社の裁量権に委ねられているので,そのランクのうち最低ランクの職能給しか支給されない場合でも,当然に違法になるものではないと、判示したものだ。
ここにも教訓がある。会社は,職能給とそれ以外の給与を,明確に意識して使い分ける必要があるということだ。
重要な仕事ができなくなった従業員を,減給にできないことになるような給与規定では,会社の給与規定とはいえず,逆に,仕事はできるのに,できない者と,いつも同じ給与というのでは,従業員に働く喜び,インセンティブを与えることはできない。バランスのとれた給与規定にしたいものである。