大切にしたいもの 不変
1 誰しも経験すること
子供の頃、親から、あるいは、他人から、叱責された経験は、誰しも、あるのではないかと思います。しかし、人が大人になると、おいそれとは、親も人も、叱ってはくれません。
2 叱責の意味
叱責とは、あなたのしたこと、言ったことが、間違っている、との指摘と、その是正の求め、と言ってもよいと思います。
そこには、あなたではない、叱責した人の価値判断があり、その価値判断により、あなたの言動が間違っている、と指摘されるのです。
3 叱責に対する反応
叱責に対し、叱責される人の反応は様々です。
素直に、その叱責の中で指摘された、自分の間違いに、気付き、反省をもって、是正する人や場合もあれば、自分の言動が間違いだとは、つゆも、思わず、叱責した人に、反発、反感、反抗を覚え、指摘されたことの是正をするなど、思いもよらない、と考える人や場合、あるいは、指摘された自分の言動に、何らかの問題があるとの認識には至るものの、叱責を我が身に浴びせられた非難ととり、非難を躱すに急なる余り、弁解に、相務める人や場合も、あるでしょう。
4 叱責は、またとない、貴重な学びの機会
叱責されることは、自分ではない、他人から見た自分の姿を、そこに、見る、という機会が、与えられたことです.
他人の目から見た自分の姿は、自分の目から見た自分の姿より、あざらかです。ここは、じっくり、その鮮明な自分の姿を、眺めるべきでしょう。
眺め、見つめ直し、熟慮しても、自分の言動に、いささかの間違いもないと、思うに至ったとしても、自分の言動が、親から、あるいは先輩や知人から、利害のからむ人から、非とせられた事実は、事実として受け入れるのです。
5 叱責されたことは、何年も先に、生きてくる。
そのときは、反発、反抗しか生じなかったとしても、叱責されたことは、何年か後、必ず、どこか腑に落ちることになるから、不思議です。
ですから、叱責されたことから学ぶことは、自助の力で学ぶことに数倍すること、間違いありません。