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親という環境を通して「生きづらさ」が子どもに根付く仕組み

2020年4月29日 公開 / 2021年10月28日更新

テーマ:子育て

コラムカテゴリ:出産・子育て・教育

コラムキーワード: 子育て悩み相談メンタルヘルス 対策


ブログ「毒親卒業トレーニング」を運営しているカウンセリングオフィス トリフォリの高澤です。
アダルトチャイルド未回復で子育て頑張っているママさん・パパさんの回復&子育ての支援を福岡でおこなっています。

突然ですがアダルトチャイルド(アダルトチルドレン)という言葉はご存知でしょうか。
ひと昔にはやった言葉ですが、現在だと「毒親」という言葉のほうがメジャーですね。

アダルトチャイルド(通称AC)とは、先の毒親を含め、機能不全な家庭で育ったことによりさまざまな影響を受け、その結果生きづらくなった人々のことです。

こういった言葉から伝わってくることは
【子どもは家庭環境での育ちに強い影響を受ける】
ということではないかと思います。

ということで今回の記事では、子どもだった私たちがどのようなプロセスを経て生きづらくなっていき、そしてそれがどのようにして固定化していくのか。
それを解くにはどうすればいいのか。

そういったことをお伝えします。

子どもの身体的ニーズ

私たちは母親の母胎の中で育ち、1年近く経ったある日、この世界に生まれ落ちます。
その状態ではまだ一人では生きていけませんから、養育者の世話を必要とします。

たとえば
・住居
・衣類
・授乳
・医療的ケア

これらはすべて生命や身体にかかわるものですから、子どもにとっては欠かせないもの、すなわちニーズです。

ところで、この「ニーズ」という言葉は日本語で言うと「欲求」になりますが、意味合いは「ほしい」「したい」というWANTSではなく、「なくてはならない」「必須」という意味でのNEEDSを指しています。

ではこの身体的ニーズさえあれば子どもは生きていけるでしょうか。
いえいえ、哺乳類である人間は「群れ」「コミュニティ」によって生き残り、進化してきた生物ですから、それだけでは足りないのです。

子どもの情緒的ニーズ

先のニーズは生物として生きていくには必須の要素ですが、私たち人間には「情緒的」なニーズというものも必要です。
爬虫類であればそれなしで生きていけますが、哺乳類である私たち人間はそれなしでは生きてはいけないのです。

情緒的ニーズとはたとえば
◎安全でいたい
◎心穏やかに過ごしたい
◎愛し合いたい
◎自由でありたい
◎内側を表現したい
◎人を信頼したい
◎人と深くつながりたい
etc.

そして何より
★“ありのまま“の自分で生きていきたい
(たとえ自分が不完全な存在であっても)

こういったニーズが育ちを通じて”ほどほど”満たされると、人生を通して子どもを支えてくれる”根っこ”がしっかり育っていきます。

私たちが木だとしたら、根がしっかり成長して地面の下に根付くことができていれば、台風にさらされようと、雷が落ちてこようと、それらを柔軟に受け流して倒れることがありません。
仮に木の一部が欠けたとしても、根がしっかり残っているのでまた育ちなおしがはじまります。

ということで情緒的ニーズはとても大切です。
ですが、ポイントは”ほどほど”です。

こういった情緒的ニーズを子どもに”ほどほど”与えられる養育者を
good enough mother
と呼んだりします。

満たされなさすぎは問題ですが、満たし過ぎも実は問題なのです。

情緒的ニーズが脅かされたとき

先の情緒的ニーズをここでは「ほんもののニーズ」と呼ぶことにしましょう。

子どもにとってほんもののニーズを満たすことは欠かせません。
しかしわが家がそれを満たせるだけの環境でなかったとしたら、子どもには根強い影響が残る可能性が高くなります。

なぜなら、わが家で日々繰り広げられる交流パターンはその場限りではなく、繰り返し繰り返し起こるもの。
したがって影響も根強く残るというわけです。

ほんもののニーズを脅かされた子どもの内側では何が起こるのでしょうか。

①ニーズが脅かされるとまず「身体的(※)」「感情的」な痛みが生まれます。
②するとその痛みを避けるために「認知的」な決断をします。
③その決断に準じて「行動的」な反応をします。

(※注:ニーズを脅かされた年齢が幼ければ幼いほど「神経の発達を阻害」という影響を残します。その結果、感受性の鋭敏さ、傷つきやすさ、感情的な動揺のしやすさ、それを鎮めることの困難さといった弊害を生むことがあります)

ここでは仮に
自分の感情調整をうまくできなくて、感情的に動揺するたびにに八つ当たりで子どもを怒鳴っている親御さんがいるとします。

その結果、その子の「安全でいたい」「心穏やかに過ごしたい」などといったニーズが脅かされます。

するとその子は大切なニーズが失われたことを悲しみ(痛み)、泣いたりすることでしょう。
悲しみという感情には「喪失の傷を癒す」「新しいつながりを引き寄せる」という大切な目的があります。

それなのに泣いたことでもっと怒鳴られたらどうなるでしょうか。
怒りをぶつけられる行為は、つながりと正反対の「分離」をもたらします。

その結果、、、

①身体や感情への影響

身体には筋肉の緊張、心拍数の増加、呼吸の瞬間的停止、冷汗、ゾッとする皮膚感覚、胃の深部の不快感などが起こります。身体が「恐怖」と訴えている状態です。

恐怖には「心身を脅かす脅威から逃げて身を守る」という目的があります。
その結果「怒られたくない!」という本来とは異なるニーズが生まれても不思議ではありません。

恐怖を感じているときの身体反応は非常に不快ですから、これを繰り返し体験することは子どもにとっては生き地獄と感じられるかもしれません。

そこから脱するために、子どもは自分なりの工夫を試みるようになります。

②認知的決断とその弊害

なんとかこういった苦しみを感じないで済むようにと子どもは必死で生き延びるためのルールを編み出します。

たとえば「私がダメな子だから怒鳴られるんだ。だから、いい子にならなくちゃ!」とか。
あるいは「怖いって感じるときついから、『怖い気持ち』をなくさなきゃ!」とか。

こういった決断(思い込み)は非意識的に行われるため自分でも気づくことができません。
それはパソコンのOS(windows)と同じで決して目には見えませんが、間違いなくそのパソコンの動きを制御(支配)しつづけます。

ちなみにこの決断によって設定された目標を、先述の「ほんものニーズ」と対比して「にせもののニーズ」と呼ぶことにします。

たとえばこういったものです。
・「ひどいことされたくない」
・「怒られなくない」
・「嫌われたくない」
・「責められたくない」
・「バカにされたくない」
・「支配されたくない」
etc.

たいていの人が「必要!大事!」と思いそうなものばかりなのに、なぜこれがにせもの?
それは、いずれも主語が「他者」だからです。それをするかしないかは相手次第であり、そもそも自分にはコントロールできないものばかり。だからこれらはにせもののニーズと呼ばれます。

ニーズの本来の姿は
★自分が本当に求めている大切なもの
であり
★それは自分で満たすことができるもの
なのですから。

子ども時代に為した生き延びるための決断は、それ自体が強い思い込みとして影響を残すだけでなく、先のようなにせもののニーズを生み、それが人生をミスリードするという弊害も起こしてしまいます。

③行動的な反応

幼少期の決断(思い込み)やにせもののニーズは人を”駆り立てたように”反応させます。

たとえば「人を怒らせてはいけない」という決断をしている場合、「怒られたくない!」というにせもののニーズがあると思います。そのニーズを渇望する度合いが強いほど行動は反応的になります。

反射的に「怒られたくない!」を達成しようとして、、、
●言いたくても「ノー」を言わない
●できる自分になろうと過剰適応する
●相手の期待を読み取りそれに応えようとする
●逆にこちらが「怖い人」になってマウントする
etc.

こういった行動はいずれも「したくないこと」であったり、「フリ(仮面)」であったりするものばかりです。

だったらやめればいいのですが、にせものとはいえそこには大切なニーズがあります。
今のあり方をやめれば、絶対に避けたい「あれ」(ここでは怒られること)がやってくると思うと怖くてやめることができないのです。

「もう嫌だ!」「きつい!」「やめたい!」と願い、そうなれるように必死に努力を続けても、手を変え品を変えトライしつづけても、それでもこの悪循環が止まらない理由がここにあります。

予期していなかった結末

生きづらさはまだつづきます。

先の反応的な行動をつづける目的は「(にせものの)ニーズを満たすこと」でしたね。
つまり本人にとっては「大切な目的」を果たすための懸命の努力なのです。
しかし、それを続けてきた結果、当初予想もしていなかった副作用が起こり始めます。

前述の反応を取りつづけていると、、、
●「ノー」を言わないのでストレス過多になる
●過剰適応が行き過ぎてバーンアウトを起こす
●相手の顔色ばかり見過ぎて自分の欲求を見失う
(つまり心に漠然とした「虚しさ」が広がる)
●マウントするほど人が離れていく
etc.

これだけでも大変ですが、もっとたいへんな副作用もくっついてきます。
それは『自己否定』です。劣等感、存在の恥などと言っていいかもしれません。

そもそも子ども時代の決断の場面で
「自分がダメ(悪い)だからこんなことになるんだ」
という意味づけをしていることが少なくありません。

それに加えて人から怒られた・嫌われたなどと感じるたび「自分がダメだから」という意味づけを強化し、克服しようと努力しても結果が出ないとき「自分がダメだから」とさらに強化し、周りが楽々生きているように見えてしまうと「やっぱり自分だけがダメ」とまたもや強化し…。

これを幼少期から延々と繰り返してきている方は決して少なくありません。
これこそ自分という存在を貶め、粗末にし、その結果自分の力を奪ってしまう最大の副作用と言えます。

「ほしい結果」を得ようと頑張れば頑張るほど、「ほしくない結果」を引き寄せるという矛盾。
生きづらさを克服しようと頑張っても解決しない理由がこの仕組みにあるのです。

悪循環を切断する糸口

ここまでが私たちが生きづらさを抱え、それを取り除こうといくら頑張っても苦しみを消せない、むしろ嫌な結果を引き寄せてもいる、、、という仕組みの全体像になります。

ではこの膠着した悪循環はどうすれば切断できるでしょうか?
それはざっくり言うと次の5つのステップで可能になると考えます。

①自分の悪循環の全体像を整理して理解すること
②悪循環の大元である幼児期の決断を探索すること
③決断場面で未完了の痛みを終わらせること
④ほんもののニーズを探索すること
⑤それを満たすことを日々やっていくこと

自力だけでは難しい部分もありますので、そういった場合は第三者の手が必要になります。
人の手を借りることは大切な「自立」の一部です。
借りることができる手を借りながら、どうか自分を助けてあげてください。

子育て中のおかあさん・おとうさんへ

日々の子育て、ほんとうにお疲れさまです。

感情と欲求の塊である子どもという存在を育てることは、とても大切であるいっぽう、とてもしんどい作業にもなりがちではないかと思います。

にもかかわらず、そこにここまでに述べてきたような生きづらさという負荷が残ったままでは、ともすると生きていくだけでもしんどい…なんて状態に至ることは少なくないのではないでしょうか。

より良い子育てに必要なことはノウハウではありません。

いちばん大切なことは
★親(とくにおかあさん)の心の安定と余裕
です。

どうかそれを得ることにエネルギーを注いでください。

もしかしたら今のあなたは、周りの非協力、世間の冷たい視線、思うようにならない子育てなどでエネルギーを奪われることも多いかもしれません。
でもだからこそ、自分を落ち着かせてあげること、ねぎらうこと、いたわることが、そして信頼できる仲間とつながることが、とても大切ではないかと思うのです。

もしトリフォリに何かお手伝いできることあったらご連絡ください。
一緒に「生きやすさ」と「楽しい子育て」を手に入れられるよう歩んでまいります。

この記事を書いたプロ

高澤信也

「子育て力」をはぐくむカウンセリングのプロ

高澤信也(カウンセリングオフィス トリフォリ)

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