ロータリー21 多様性と移民
ロータリーは、女性の才(さい)幹(かん)、端(たん)倪(げい)すべからざるを知り、RI(国際ロータリー)の理事その他、重要なポストに、女性を招(しょう)請(せい)しています。そこで、私は、女性の才幹いかなるものありやを日本の歴史から一人選び出し、下記に書いてみます。
すでに私は、職業奉仕の権(ごん)化(げ)と言うべき渋沢栄一のことをコラム34に書きました。渋沢は「お金は、扱う人の器量の大きさに従って動く」という言葉で、我が国に銀行の設立を促(うなが)しました。その彼が目をつけた一人、すなわち広岡浅子のことを書いてみたいのです。
広岡浅子は、三井家の出、17歳で豪商の一つ両替商の加島家に嫁入りしましたが、時代は幕末、両替商に対する取り付け騒ぎが起こります。そのとき、浅子、私財を投げうって債務の弁済に奔走し、陣頭指揮で乗り切ります。そして、九州の炭鉱を、長期月賦支払を条件に買い、懐に五代友厚からもらった拳銃を忍ばせ、荒くれ男の群がる九州の鉱山へ乗り込むのです。
この時、浅子は芳(ほう)紀(き)まさに20歳。その後、炭鉱で火災事故が起きますが、火を消すためには炭鉱に多量の水を入れねばならず、水を入れれば中に入った鉱夫は全員確実に死ぬという中、浅子は、家族を説得し放水を始めるのです。被災者家族の悲(ひ)泣(きゅう)哀(あい)号(ごう)の嵐の中で、冷静沈着にこれをやってのけたのです。
それほどの冷静さと胆(たん)力(りょく)の人、また職業倫理の高い人物だったので、渋沢栄一も目を付け銀行の設立に導いたのです。それにより浅子は鹿島銀行を設立します。また、それ以後、浅子は、生命保険の必要性を痛感し、大同生命創立に参画していきます。さらに、成瀬仁蔵の著書である「女子教育」に触(しょく)発(はつ)され、やがて日本女子大学校(現在の日本女子大学)を創設。続いて私塾もつくります。若き日の市川房枝や村岡花子(赤毛のアンの翻訳者)らがここに集まり、新しい時代の女性を中心にし、職業倫理を顕揚した、新しい時代の文化という大(たい)輪(りん)の花を咲かせていったのです。
職業倫理の華(はな)ともいうべき肝(きも)の据(す)わった女(じょ)傑(けつ)は言うまでもなく、現在多くの女性ビジネスパーソンが生まれている中、女性のロータリアンは大歓迎です。女性の才幹は、大切にしたいものです。