言葉24 スピーチが国と国民と家族を守ったお話
『太平記』の時代。前半は、鎌倉幕府(執権北条家)と後醍醐天皇の側との戦いでした。その結果は、歴史に明らかなとおり、後醍醐天皇の勝利に終わり、ここで後醍醐天皇は、念願の王政復古(いわゆる建武の新政)をなし遂げたのですが、この建武の新政はあっという間に瓦(が)解(かい)しました。
何故か? それは、論功行賞の失敗です。論功行賞とは、功を論じ、賞を行うことです。早い話、戦いを勝利させてくれた者たちへの、功績に応じた恩賞を与えることです。後醍醐天皇は、身近に仕える側室の阿(あ)野(の)廉(れん)子(し)にまで手厚い恩賞を与えながら、赤松円心など後醍醐天皇のために一族の多くの血を流し、鎌倉幕府と戦い勝利をものにした武士団の一部に対しては、恩賞はほとんどなし、という扱いをしました。
そのためあっという間に、次の戦いが起きたのです。
開業の上、
実は、項羽と劉邦との戦いも、そうでした。項羽がした論功行賞も極めて不公平なものであったため、英(えい)布(ふ)や彭(ほう)越(えつ)という戦(いくさ)上手(じょうず)を、自陣から劉邦側に走らせ、彼らのするゲリラ戦に悩まされ、そのため劉邦との戦いでも決定的な勝利を収め得ず、結局敗亡してしまうのです。
逆に、劉邦側では、劉邦の気前よさもあって、彼がした論功行賞では麾下(きか)の武将に不満を持たせてはいません。ですから、項羽と劉邦の戦いは、多様性のある方が勝ったというのは、そのとおりですが、その多様性を確保した側が行った公平な論功行賞を見失ってはなりません。逆に言うと、不公平な論功行賞は、我が身を滅ぼす結果になるということです。ロータリーは、多様性を中核的価値観の一つにしていますが、ここでいう多様性には、その裏に包容力と論功行賞の公平性を蔵しているのです。
これは、現在を生きる人たちにも参考になる教えになるのではないかと思います。近時、上場会社のCEOなどの執行役の報酬に、アメリカの企業にならって業績連動型のものを採用しつつありますが、これなど論功行賞的なやり方といえるでしょう。極めて合理的な制度です。