言葉11 英国王の吃音を治した男の話
多くのロータリアンの中にいると、ときに、太(おお)田(た)道(どう)灌(かん)よろしく心(しん)緒(ちよ)乱れる経験をすることがあります。すなわち、太田道灌は、
孤鞍(こあん)衝雨(あめをついて)叩(ぼう)茅(しを)茨(たたく)
(太田道灌は、武蔵野の野で雨に降られ、一人馬で茅(ぼう)屋(おく)の戸を叩く)
少女(しょうじょ)為遺(ためにおくる)花(はな)一枝(いっし)
(そのため少女が山吹の花一枝を太田道灌に捧げる)
少女(しょうじょは)不言(いわず)花(はな)不語(かたらず)
(しかし、少女は言わず花語らずであったため)
英雄(えいゆうの)心緒(しんちょ)乱如(みだれて)糸(いとのごとし)
(太田道灌の英雄の心緒が、糸のごとく乱れてしまった)
と漢詩で詠(よ)まれた、心緒の乱れを経験したのです。
もし、太田道灌が、このとき、「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」という古(こ)歌(か)を知っていたら、また、少女から受け取った花が山吹の花であることに気がついていたら、その家の主人が、古歌にことよせて、「実(・)の(・)ひとつだになき」ではなく、「蓑(みの)(当時の雨具)一つだになき」ことを伝えたかったことが分かったはずですが、このときは、太田道灌、古歌の知識はなく、そのため心緒乱れて糸のごとくになったのです。
自分の、無知・無学を自覚して、心緒乱れるほど恥じ入る経験は、それをバネにして勉学に、また、成長につながるのなら、人として、大いに喜ぶべき経験といえるでしょう。
心緒糸のごとく乱れる経験、大切にしたいものです。