言葉12 箴言(しんげん)
ロータリーは、職業倫理の顕揚を目的に設立されましたが、やがて職業倫理は、ロータリーのいう「職業奉仕」に昇(しょう)華(か)されていきました。では、職業奉仕とはどのような行為をいうのでしょうか? 私は、日本資本主義の父と謳(うた)われている渋(しぶ)沢(さわ)栄(えい)一(いち)の事(じ)績(せき)を取り上げたいと思います。渋沢栄一は、ロータリアンではありませんが、彼の事績は職業奉仕そのものだからです。
渋沢栄一は1840年、名字帯刀が許されるほどの豪農の子として生まれました。幼児から学問に親しみ、徳川幕府第15代将軍就任前の徳(とく)川(がわ)慶(よし)喜(のぶ)の家臣となり、慶喜の弟の徳川昭(あき)武(たけ)がフランスで開かれた万国博覧会に招かれると、その随行員の一人となってフランスに行き、資本主義の仕組みを学びました。
彼が特に関心を向けたのは銀行業でした。不特定多数の国民から資金を集め、巨大産業を生み出すダイナミズムに感動したのです。ですから、帰国後、彼が最初にしたのが「第一国立銀行」(現在のみずほ銀行)などの銀行の設立です。その後、彼は、現在の上場会社のうち400以上の会社の設立に関係したとされるほど資本主義を活用した事業会社を数多くつくったのです。
それをつくるにあたって、渋沢栄一は、「事に当たってするかしないかは、第一にそれが道理にかなうか否かを考え、それが道理にかなうものならば、第二にそれが国家社会の利益になるかどうかを考え、第三にそれがさらに自己のためにもなるかを考える。そして、考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にかない国家社会を利するということなら、断然自己の利益は捨て、道理のあるところに従うつもりである」との言葉を残しているほど、高い倫理観だけでなく、自らがする事業を公共の利益のためするという旗幟(きし)を鮮(せん)明(めい)にして仕事をしたのです。
そのため、明治政府も、財閥を起こした人たちは全員男(だん)爵(しゃく)位(い)に留(と)めていますが、彼には子爵位を授けているほどなのです。彼は、その著書に『論語と算盤(そろばん)』があるように、経済活動の中に道徳を活かした人物であったことも、広く知られています。彼は、日本にロータリークラブが生まれる前の時代の人物でしたが、ロータリーでいう職業奉仕の実践者であったことは言うまでもないことでしょう。