2020/07/22 益田西ロータリークラブ訪問記
2021/04/24 ロータリー親睦活動月間に思う
6月は、ロータリー親睦活動月間である。
ギリシャ神話の中に、ミダス王に関する寓話がある。
ミダス王は、ギリシャの神に願って、手に触れる物全てを黄金にする能力を得、大喜びをしたのだが、それもつかの間のこと、ミダス王は、手に取った食べ物まで黄金になってしまって飢えに苦しむことになったということだ。
この寓話が教えるところは、言うまでもなく、人は財産だけでは生きられない存在だということだと思う。
人は、人を信ずることで視野を広くし、人と親しく睦み合う関係を築くことで情操を豊かにし、人から学ぶことで自らを成長させていく存在だと思うので、多くの優れた人材の宝庫というべきロータリーにいれば、それだけで、人は、豊かな人生を送ることができるのではないかと思う。
そのロータリアンとロータリアンの関係は、①知り合い程度の交友(acquaintance)ではなく、②親しい者同士の友情(friendship)でもなく、③志を同じくする者同士の仲間意識(fellowship)をもって集まり教え教えられる豊かな人間関係を築いていく関係だと思う。
そのような世界に身を置いた私たちは、たいへん幸せだと思うが、幸せを継続・発展させるためには、人それぞれが考え抜いた、意図的なルールを我が身に課す必要があるように思う。
私の場合は、誉誉褒褒を、我が身の守るべきルールにしている。
この誉誉褒褒という言葉は、毀誉褒貶という言葉から、「誉」という文字と「褒」という文字を抜き出し、その文字を二字ずつ重ねた私の造語である。
毀誉褒貶という漢字の意味は、「ほめることと、けなすこと。さまざまな評判」(大辞泉)のことだが、私は、この文字から「毀」と「貶」を捨て、前述のように誉誉褒褒を実践することを、我が身に課したのである。
要は、ロータリーに入って、せっかく知り合えた優れた人材だ。
そこからその人の長所のみに目を向け、その良さを最大限評価して、その良さを我が身に取り込むことを意欲したのだ。
ロータリアン各自にも、それぞれ、自らを戒めるルールがあるはずだ。
そのようなロータリアンの生き様を、ルールとした言葉を、ロータリアン同士が語り合うこと。
これも重要な親睦の一つではないかと考えたりする今日この頃である。