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2020/12/15 リーダーシップ④ 吝嗇家もリーダー失格なり
司馬遷が書いた「史記」の中の「貨殖列伝」の中にある一挿話を書いておきたい。
陶の国の朱公には3人の男の子がいた。あるとき次男が殺人の罪を犯して楚国の獄に繋がれた。朱公は、三男にお金を持たせ、朱公から恩を受けたことのある楚国の有力者荘生にお金を渡し、三男の助命をお願いしようとした。
そこに長男が顔を出し、次男の救命には自分を行かせてほしいと懇願した。
朱公は不安をもったが長男を行かせた。
長男は、父から預かったお金を荘生に渡し次男の命を助けるよう依頼した。
荘生はこれを承諾し、長男にすぐ国に帰り結果を待てと言ったが、長男は楚国に残った。
荘生は楚王を訪ねて、このころ星の運行を占ってみると楚の国に異変が見える。楚王は徳を施すべきだと言上した。
そこで、楚王は大赦を行なうことにし、司法官を呼んで大赦を命じた。
司法官がすぐその準備に取り掛かると、たちまちそれが外部に伝わって、やがて大赦が行なわれるという噂が町中に拡まった。
これが朱公の長男の耳に入った。
すると朱公の長男は、次男は荘生の力を借りずとも大赦されると考え、荘生へ預けたお金が惜しくなり、荘生の許へ出かけて、先日お預けしたお金はまだ手元にあるかと質問した。
荘生はすぐその意味を悟って、長男にお金を全額返した。
そして、荘生はすぐ楚王に面会を求めて、前言を撤回した。
かくて、朱公の次男は死刑に処せられた。
のち朱公は嘆息しながら言ったという。「私が最初に三男を使いに出そうとしたのは、三男は私がお金に不自由しなくなってから生まれたので、糸目をつけず金を使って次男を助け出せると思ったからだ。しかし、長男は私の貧乏な時代に育ったため、吝嗇であったので、次男を死なせた。その責任は、長男にあるわけではない。すべて私にあるのだ。」と。
いずれにせよ。この一挿話(史実)は、吝嗇家はリーダーにふさわしくないことの症例となろう。
なお、ここでいう陶の朱公とは、中国は春秋時代の越の勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた功臣の范蠡のことである。范蠡は,その後、勾践を捨て、陶の国で朱公を名乗り、貨殖の道を歩き,司馬遷のいう「素封の者」(大富豪の意味)になっていたのである。