2021/04/23 東芝とガバナンス問題
2020/11/18 ⑭公益財団法人ロータリー米山記念奨学会ができるまで
戦前、アメリカを敵視する軍部からの非難や攻撃を避けるため、水曜会や金曜会などと、名を変えて、ロータリー活動をしていた日本のRCは、戦後の1947年時点(梅吉逝去の翌年)で、18クラブ、会員数は1050名であった。
その例会には、戦後の日本に駐留していた連合国軍のロータリアンたちも訪れていた。
そして、1949年、これらのクラブは、国際ロータリーへの復帰が認められ、第60区として活動を開始した。
認証番号は、旧認証番号が認められた。
東京ロータリークラブのチャーターナイトが開かれた1949年4月29日には、吉田茂首相が出席し、祝辞を述べ、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(東京RC名誉会員)からはメッセージが寄せられた。
1952年、東京RCは、「米山基金」の創設を提唱した。
1961年アジアで初めての国際大会が開かれた。登録者数は2万3366人、世界70か国からおよそ7400人が集まり、初日には、天皇・皇后両陛下がお見えになりお言葉を頂いた。
1967年、「財団法人ロータリー米山記念奨学会」が設立。
1968年、東ケ先菊松(トウガサキキクマツ)が、日本人として初めて、RIの会長になった。
当時のスローガンは、「参加しよう」(Participate)であった。
なお、後年、東ケ先菊松は、「ロータリーは人をつくる。自分を育てる。友達を生み出す。事業を成功させ、奉仕の喜びを体験する。」という言葉を残している。
2011年、「財団法人ロータリー米山記念奨学会」は「公益財団法人ロータリー米山記念奨学会」になった。