2020/09/25 国際ロータリー会長代理との打合せ
2020/11/06 昭和の大恐慌から梅吉の慈善団体トップ就任まで
1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦では、日本は、特需景気により、経済が活況を呈するに至ったが、戦後、一転して景気が落ち込んだ。
それに加えて、1923年関東大震災が勃発、続いて1929年のNY株式市場の大暴落とそれに続く世界的な不況(日本では「昭和の大恐慌」)、さらに東北地方の冷害、1933年の昭和三陸地震などが続き、農村の疲弊、都市での大量失業者の発生によって「世情まことに不穏となった。
米山梅吉は、このような中、国民の貧富の差の拡大を憂えて、1927年に「その中を富める貧しきへだてつつ流れる水の浅かれとこそ(意味:富める者と貧しき者の間を流れる溝が浅いものでありますように)」という歌を残している。
時代は、このような不穏な世情を背景にして、1932、井上準之助(前蔵相)の暗殺、団琢磨(三井合名会社の理事長で、日本経済連盟いまの経団連会長)の暗殺、犬養毅(首相)の暗殺が、立て続けに起こった。
なお、団琢磨の暗殺は、財閥批判の現れであったことから、三井は、財閥の在り方を変更することにし、種々対策を講じた。その一つに「財団法人三井報恩会」の設立があった。慈善事業を目的としたものである。
そして、米山梅吉が、その財団の理事長になったのである。